関ケ原の戦い(1600年)で東西にわかれ、相まみえた井伊家と島津家。地元の滋賀県彦根市と鹿児島市が16日、交流連携協定を結んだ。合戦から425年の節目に両家の子孫が立ち会い、お互いの理解や友情を深めることを誓い合った。
彦根市によると、関ケ原の戦い後、徳川家康の重臣・井伊直政が徳川家と島津家の和睦を仲立ちしたとされる。その後の江戸時代、井伊家は彦根藩、島津家は薩摩藩を治め、一度も国替えがなかった。
幕末の桜田門外の変(1860年)では、彦根藩主で大老の井伊直弼(なおすけ)が尊皇攘夷(じょうい)派の水戸浪士らに襲われた。この中にいた薩摩浪士の有村次左衛門(じざえもん)が直弼の首を切ったとされる。
きっかけは薩摩浪士の弟の子孫
今回の連携は、有村の弟の子…