黒柳徹子さんが自伝的エッセー「トットあした」(新潮社)を出版した。徹子さんは戦後のテレビ草創期から俳優や司会者として活躍し、テレビの歴史と共に歩んできた。テレビ離れも言われて久しい今、新著の刊行を機にテレビへの思いを語ってもらった。
草創期の「テレビジョン」の理想
――日本でテレビの本放送が始まったのが1953年。その頃にNHK放送劇団に入りました。草創期のテレビの理想について著書で触れていますね。
NHKが本放送を始める前にアメリカから呼んだプロデューサーは、「今まで人類が夢想だに出来なかった国際間の、より大いなる理解と永遠の平和の可能性が生まれてくる」というメッセージを残しました。映像を通じて世界の人々が相手のことを理解し合えるって。私はNHKに入ったとき、テレビジョンに携わって平和に貢献できるならうれしいなと思ったんですよ。
――何でも生放送だった当時のテレビ制作の苦労もつづられています。
ドラマでも、収録して後で編集してじゃなくて生放送ですから、いろいろ失敗もありました。でも生放送は、その時に集中して全部出ちゃう感じの面白さはありますよね。誰かが考えたセリフだけじゃなく、その時自分が考えたこともばっと言えて放送されていましたからね。
「テレビ女優第1号」とも呼ばれる黒柳徹子さんは、テレビの歴史と共に歩んできました。今のテレビは萎縮していますか?生放送の「ザ・ベストテン」で攻めたのはなぜ?「徹子の部屋」のあの発言についてどう思いましたか?テレビへの思いを縦横に語ってもらいました。
今のテレビは萎縮しているか
――「ザ・ベストテン」(TBS系、78~89年)についても新著で振り返っています。地方からの中継で「黒人のくせに」と言ってしまった少年の発言に反応して、「顔の色とか、国籍が違うということで、そういう区別をした言い方をすると、私は涙が出るほどとっても悲しく思います」と語ったのは、生放送ならではでしょうか。
生放送だし、どうしても引っ…