アジアン・カンフー・ジェネレーションの後藤正文さん

 一生懸命に生きていても、人生に失敗はつきもので、かつての過ちや、現在進行形の失敗についていろいろ思い悩んでしまう。反省しないことには進歩や成長はあり得ないと思うが、後悔も度が過ぎると過去への執着のようになって、どこへも進めずに滅入(めい)ってしまう。

 新型コロナのパンデミックを経て、精神のバランスを崩す仲間が増えた。一般化するのは乱暴だが、繊細な人ほど世間の空気の変化に敏感で、自分宛てではないネット上の言葉に傷ついたり、自身の技術のなかの個性と呼ぶべき些細(ささい)な揺らぎを必要以上に問い直したりして、それぞれに自責のような方法で内側にこもってしまう。程度の差はあれど、自分も内省と自省を繰り返して、晴れやかだとは言い難い月日を過ごしてきた。

 仲間の葛藤のみならず、彼らの存在を肯定したい。自分も含めて、悩み多きそれぞれの人生を祝福したい、そんな気持ちがふと膨れ上がって、「MAKUAKE」という歌を作った。幕開けという前向きなタイトルをつけたが、言うなればやり直しの歌だと思う。

 失敗を悔いても、その失敗自体がなくならないのは誰もが知っている。この瞬間から、別の方法で穴を埋めたり、失った何かを取り戻したりする以外に術(すべ)がない。そう考えると、やり直しの連続こそが人生ではないかと思う。しかし、新曲を「YARINAOSHI」としたのでは据わりが悪い。やり直したいと思ったその瞬間を、幕開けと呼びたいと思った。

 バンドメンバーだけでなく、仲間に声をかけて演奏に参加してもらった。彼らのそれぞれの歌声や演奏に、聞く人が自身の人生や存在を重ね合わせて感じられるような音像を目指した。完成したときには誰よりも自分が救われたような気持ちになって、号泣してしまった。今日も失敗を悔いている。挽回(ばんかい)を決意した瞬間を、幕開けだと思って進みたい。(ミュージシャン)

 ◇毎月第4日曜日に掲載します。

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