バンドを組んでいたころの石井晃一さん(右)と築地原崇史さん=石井さん提供

 8月中旬の昼下がり。とにかく暑い日だった。

 部屋の掃除をしていると、地元の友だちから電話がかかってきた。

 「『ついち』が、死んだみたいよ」

 あまりにも突然の知らせに、石井晃一さん(52)は当時、感情が追いつかなかった。

 「ついち」こと築地原崇史さんは、かつて一緒にバンドを組んで上京し、メジャーデビューをめざした親友だった。

 石井さんはすでにバンドを抜けていたが、築地原さんはメジャーデビューが間近に迫っていた。デビュー曲のプロモーションビデオも完成し、CDショップに置く広告用のカードの準備も終わったところだった。

 自殺とのことだったが、理由は分からなかった。自宅を訪ね、遺体が入った棺(ひつぎ)に泣きつく母親の姿を見て初めて、深いショックが体を襲った。

 「俺がバンドを抜けなかったら、ついちは自殺せずに済んだんじゃないか……」

 そんな思いが、頭から離れなかった。

 出会いは、小学2年生のころ。福岡市内の小学校で同じクラスとなり、描いた漫画を見せ合って遊んだ。

 お互いに音楽も好きだった。中学生になって洋楽を聴き始めるようになると、共通の知人に誘われてバンドを結成した。

 何度かバンドを組み直しながらも、高校卒業直前に改めて、ほかの友人を誘ってロックバンドを結成。1970年代の洋楽を意識した楽曲が多く、月に一度は市内のライブハウスで演奏し、自主制作したテープを手売りしながら地道に知名度を上げた。

 築地原さんの声質や歌い方は色気を帯び、独創的なメロディーを次々と生み出した。小さいころから同じものを見聞きしてきた「ついち」が、ボーカルとして成長していく。悔しさを通り越し、尊敬の気持ちで隣に立ち続けた。

オーディション番組で優勝、すれ違い始めた思い

 「ついちの魅力を、俺がギタ…

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