地震で自らの家や仕事を失うなかで、成年後見制度で支援する認知症の高齢者らの命に関わる重い選択を次々と迫られる。能登半島地震でそんな経験をした女性がいます。被災地の成年後見人が直面した現実とは。
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激しい揺れで屋根は裂け、柱は大きく傾いた。
1月1日。そのとき、社会福祉士・山形優子さん(52)は石川県珠洲市の自宅にいた。
「津波が来る」と言われ、着の身着のままで山の畑に逃げた。そのまま、閉校となっていた小学校に避難した。
山形さんは、市内のクリニックに介護スタッフとして勤務するかたわら、県社会福祉士会「成年後見センターぱあとなあ石川」に所属し、認知症の高齢者や重い知的障害のある人をサポートする「成年後見人」として活動してきた。
支援する高齢者ら「被後見人」は、珠洲市や輪島市など奥能登地方に9人いた。
「無事だろうか」
気持ちは焦った。だが地震発生から3日間はスマートフォンの電波も通じず、なすすべがなかった。
ようやくスマホの電波が通じる場所に移動できたのは1月4日。そのときになって初めて安否確認ができた。高齢者や障害者は大半が施設などにいた。幸い全員が無事だった。
そのなかに、珠洲市の認知症グループホームで暮らす90代の夫婦がいた。子どもはいない。数年前から夫婦ともに認知症の症状が進行したため、成年後見制度を利用していた。よく面会にくる山形さんのことは、近所の豆腐屋さんだと思っているようだった。
グループホームも地震で大きな被害を受けた。夫は別のグループホームへ、要介護度が重く医療対応が不可欠な妻は市内の総合病院へ、別々に避難していた。
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医師からの電話
1月11日、山形さんのスマホが鳴った。妻を担当する総合病院の医師からだった。
被災者やけが人が殺到した総合病院の医療体制は限界を超えていた。入院患者を別の医療機関に転院させるため、ドクターヘリによる搬送が始まっていた。
医師は言った。
「命を最優先して患者さんに2次避難してもらうことになった。(妻が)避難するかしないか、この電話でいま決めてほしい」
転院先は災害派遣医療チーム…