引退を決めた横綱照ノ富士(33)。大相撲史に残る復活劇を成し遂げた力士だった。
17歳で来日し、鳥取城北高に編入。2010年に角界入りすると、大柄な体格を生かした豪快な相撲で、一気に番付を駆け上がった。関脇だった15年夏場所で初賜杯を抱き、新入幕から所要8場所で大関昇進を決めた。
だが、その取り口は下半身を酷使し、特に両ひざへの負担は大きかった。内臓疾患にも苦しんだ。17年九州場所で関脇に陥落すると、そこから一気に転げ落ちた。
翌年は途中休場を含め全6場所中5場所を休場し、三段目に転落。番付は序二段まで下がった。
みじめだった。何度も「引退」を口にしかけた。看板力士がその座を失ってまで土俵に上がり続けることはその名を汚すとされ、引退することがほとんど。大関経験者が幕下以下に陥落するのは昭和以降では初の出来事だった。
だが、師匠の伊勢ケ浜親方(…