置かれた場所で咲きなさい。
これは渡辺和子さんのベストセラー本のタイトルで、あまりにも有名ですね。
置かれたところこそが、今のあなたの居場所であり、そこで自らが咲く努力を忘れてはならないと説いた本で、多くの人の心を揺さぶりました。
- 連載「上手に悩むとラクになる」
私は就職氷河期世代の人間なので、このメッセージで頑張るしかない時代を生きてきた一人です。しかし、注意欠如多動症(ADHD)をもつ人にとっては、あまり当てはまらないのではないかと考えています。
例えば、このようなことで悩んでいる方はいませんか?
・短期間で離職する
・どの仕事も長続きしない
・友人関係も長続きしない
・いつも「ここじゃない」感がある
・別の集団、新しい人間関係の方に魅力を感じる
・でもやがてそこでも、近づきすぎて破綻(はたん)する
このコラムにたびたび登場するADHDの主婦リョウさんもまた、ずっとこの続かなさで悩んでいます。
「何をやっても続かない」自分を責めるのはナンセンス
小さい頃から習い事も続きませんでした。趣味もすぐに移り変わって、どれも極めることができませんでした。仕事なんてどれほど変わったか。
親からは、「そんなに次々に変わっても同じ。どこに行っても同じことを繰り返すんだから、結局問題は自分なんじゃないの」。
そう言われて、反省を求められたり、欠点をつかれたりしてきました。「飽きっぽい」「集中しろ」「もっと粘り強くなりなさい」というかんじです。
その度にリョウさんは自分を責めてきました。
「ほんとに自分が情けない。だめな人間だ」
気づけば小学校4年生の頃にはそんなふうに思うようになっていました。
でもこのリョウさんの親の言葉って、ADHDの治療のガイドラインからするとまるでナンセンスなのです。
国際的な推奨は「心理教育」と「環境調整」
ADHDの国際的な治療のガイドラインでは、投薬よりなによりまずは「心理教育」と「環境調整」が共通して推奨されています。
心理教育では、自分の特性を知って、それが実生活でどんな影響を与えてきたかを確かめていきます。いわゆる自己理解です。
「私は小さい頃から不注意で、よくけがをしていたんだな」とか「飽きっぽくて習い事が続かなかったのはADHDの特性だったんだなあ」「試食販売のバイトは社交性が発揮できたから楽しめたのか」「0から1を生み出せる創造性があるからこそ、演劇部で台本を書くのが好きだったんだなあ」といった具合です。
本人が得意・不得意を自覚すると、自分の活(い)かし方がわかりますし、苦手なことについては自覚したからこそ対策を立てやすくなります。
環境調整では、特性に合った学校、職場、人との付き合い方などを整えていきます。正直、臨床上は本人の特性に対する対処努力よりも、この環境の選び方が何倍も威力が大きいのです。あくまで臨床上の印象ですが、なんらかの適応改善が見られたときの要因の8割は環境、2割が本人の努力というぐらい圧倒的に環境要因は大きいのです。
「どこに行っても同じ」ではないからこそ、こだわって選んで、そこでも必要に応じて合理的配慮を求めて、さらに環境を最適化することが大事なのです。
置かれた場所で咲くには「戦略的」に
冒頭にご紹介した「置かれた場所で咲きなさい」は、ADHD界隈(かいわい)では、こう言い換えるといいでしょう。
「戦略的に場所を見直しましょう。そのためにもまずは自己理解を」
リョウさんの場合はこうです。
リョウ「私は同年代の人よりどこか幼いところがある。大人になりきれないから、『義務です』って言われてもどうしても自分のしたいことを優先したい。こういうところを笑ってくれるような人と付き合っていこう。それでも果たさなきゃならない大人の役割の中でも、子ども会のイベント係なら自分もなんとか楽しめそう」
大人になると、学齢期の子どもよりも人生における選択肢が増えます。でも、ADHDの子どもたちの教育機会は、大人に比べて住む場所や経済力などに影響され、本当に狭い選択肢の中からしか選べません。昔に比べるとずいぶん選択肢は増えましたが、それでもまだまだ多くの教育現場では、オールマイティーに振る舞えるゼネラリストが適応しやすいようです。
大人の側が環境要因の大きさを理解して、自己理解を促しつつも最適な環境を選ぶ必要性も伝えていきたいところですね。もちろんご自身についても同じです。
〈臨床心理士・中島美鈴〉
1978年生まれ、福岡在住の臨床心理士。専門は認知行動療法。肥前精神医療センター、東京大学大学院総合文化研究科、福岡大学人文学部、福岡県職員相談室などを経て、現在は九州大学大学院人間環境学府にて成人ADHDの集団認知行動療法の研究に携わる。
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このコラムでご紹介したADHDについてもっと知りたい方は、筆者の著書「ADHD脳で困ってる私がしあわせになる方法」(主婦の友社)をお読みください。