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2017年夏の甲子園の開幕ゲーム、波佐見―彦根東戦。九回裏、サヨナラ勝ちとなる本塁生還を果たした筆者(中央)=林敏行撮影

 このコラムの担当が決まったのは3週間ほど前だった。頭を抱えた。

 何を書けばいいんだ。

 記者になって4年目。胸を張って「この記事について語りたい」といえるような自信作は特段、思い浮かばない。同世代の記者たちの強い思いがにじむコラムを読むと少し落ち込み、身がすくむ。

 印象に残っている取材なら、ある。

 昨春に横浜から神戸へ異動し、司法担当に。内部告発や知事選で揺れる兵庫県に関連した、ある刑事告発について、法律の専門家に電話取材した。何が捜査の焦点になるかなどをまとめるためだ。

 自身、大学生時代は法律をほとんど学ばなかったため、ポケット六法を手に、自分なりのポイントをまとめて取材に臨んだ。それでも……。

 「そんなことが聞きたいの?」

 「そんなこともわからないの?」

 突き放すような言葉の数々。悔しさで体と声が震えた。

 その数カ月後には、上司から「記者としての問題意識が見えてこない」とも言われた。

 自分はなぜ記者になろうと思ったのか。考える時間が増えた。そして、目指すきっかけとなった人の言葉を思い出した。

 高校3年の夏、2017年の甲子園に出場した。宿舎でただ一人、こちらの目をじっと見て話を聞いてくれた記者がいた。その記者が書いた記事の中には、「自分以上に自分らしい自分」がいた。

 なぜそんなに、僕のことが分かるんですか。尋ねるとこう返ってきた。「他人のことはわからない。だから向き合わないと」。今でも心に残る。

 記者になってみて、確かに実感する。なぜこの事件が起きたのか、この人はどんな気持ちだったのか。「分からない」と向き合い、突き詰めることで、記事は生まれる。

 この夏は高校野球の担当をする。どんな記者がベストなのかはまだ分からないが、自分がどうありたいかは、はっきりしている。

 出会った人と向き合い、取材を尽くし、その人自身も気づかなかった自分を記事にしたい。あの記者のように。

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