「優しい人だった」「才能があるのに」「そんな風に見えない」――。性暴力加害者の男性に同情が向けられることを指す「ヒムパシー」という言葉があります。英語の「him」と「sympathy」(同情)を掛け合わせたもので、2010年代後半に米国で使われ始めました。ジェンダーを研究する鈴木彩加・筑波大学准教授は「日本にもヒムパシーはある。性暴力被害を軽視し、被害者を傷つけることにつながる」と指摘します。話を聞きました。

ジェンダー研究者・鈴木彩加さんインタビュー

イラスト・米澤文憲

 ――ヒムパシーとは何でしょうか。

 性暴力の加害者の男性に対し、「いい人だった」などと同情の声を寄せることを指します。直接的な誹謗(ひぼう)中傷ではありませんが、「被害者はウソをついているのかもしれない」との考えに周囲を誘導しかねません。性被害の矮小(わいしょう)化につながり、被害者を傷つけます。

 『ひれふせ、女たち』(原題「Down Girl」)などの著書があり、フェミニズム哲学を研究するケイト・マンが、性暴力加害をめぐる言説を考えるために提唱しました。

名門私大で起きたレイプ事件

 2016年、米スタンフォード大の学生が学内でレイプ事件を起こした際、有力な水泳選手であった加害者に同情の声が集まりました。判事も被告の「将来性を憂慮」して懲役6カ月(実際は服役3カ月)保護観察3年間という刑を与えました。メディアも「有望な水泳選手」という側面を強調しました。この事件を論じるとき、マンが持ち出した言葉が「ヒムパシー」です。

 ――ヒムパシーはどのように社会に表れるのでしょうか。

 日本でも、著名人が性暴力の問題を起こしたときなどに、個人的に知っている人が「優しかった」と表明したり、「才能がある人なのに」などとSNSに投稿したりする例が相次いでいます。

 これは、ヒムパシーです。

 男性による痴漢問題が話題になる際、被害者によるでっちあげの可能性が取り沙汰されるのもその一種と言えるでしょう。

 同情を寄せる側は男女を問いません。ただ、同情を向けられるのは加害者の男性です。女性加害者へ向けた「ハーパシー」といえるような現象は存在していません。

 ――なぜヒムパシーが生まれるのでしょうか。

 女性に比べ、男性の方が社会…

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