広島、長崎への米国の原爆投下から79年を迎えます。パレスチナ自治区ガザやウクライナでは戦火がやまず、核兵器使用の懸念が世界に影を落としています。朝日新聞社は被爆50年の1995年から毎夏、被爆地で核兵器廃絶を訴える国際シンポジウムを開いてきました。30回目の今年のシンポに登壇する米国のNGO「核時代平和財団」代表のイヴァナ・ヒューズさんに「核なき世界」への道筋をどう描くかを聞きました。
私が核問題に関心を抱いたのは、マーシャル諸島が核保有国を相手に国際司法裁判所(ICJ、本部ハーグ)や米国内で提訴した2014年のことです。当時、その動きを支援していたのが、まだ私が加わる前の「核時代平和財団」でした。提訴は、マーシャル諸島の核被害についてではなく、核保有国が核不拡散条約(NPT)第6条で示された核軍縮義務を履行していないことに関するものでした。提訴は却下されましたが、この問題への関心を高めたと思います。日本人の多くはビキニ環礁での核実験で日本漁船が被曝(ひばく)したことを知っていますが、米国や世界の大半の人々はマーシャルで起きたことをほとんど知らなかったのです。
米国が核実験をマーシャルで始めたのは広島、長崎での原爆投下から間もない1946年7月です。それから58年までの12年間の実験は、広島原爆の7千回分に当たります。毎日、広島原爆が1.6個落とされていた計算になります。最大のものが54年の「ブラボー実験」でこの1回だけで広島の1千倍でした。ビキニ環礁を汚染し、ロンゲラップ環礁など周辺の島の人々や海に多量の放射性降下物が降り注ぎました。日本のマグロ漁船第五福竜丸は、操業を許可された海域にいましたが被曝(ひばく)し、船員1人が6カ月後に亡くなっています。
映画「オッペンハイマー」にも登場し、オッペンハイマーと敵対する人物だったルイス・ストローズ米原子力委員長は、ブラボー実験後にマーシャルを訪れた後、米国に戻り「島民はみな元気だった」というようなことを話しています。日本の漁船員については「共産主義のスパイだった」と主張しました。本当にひどいことです。
長崎でシンポ 無料ライブ配信も
朝日新聞社は7月27日、長崎市、長崎平和推進協会と国際平和シンポジウム2024「核兵器廃絶への道~核の脅威、多様性でのりこえる」を開催します。入場無料。インターネットで無料ライブ配信もします。応募ページ(http://t.asahi.com/isp2024)からお申し込みください。
自身の関わりに戻れば、提訴の動きを知る中で、物理学者である私の夫が学生3人とマーシャルの首都マジュロに2015~18年に3回行き、核実験の被害を調査し、私たちで報告書にまとめました。私も別の機会にマーシャルを訪れました。その最も重要な結論は「ビキニ環礁に住むことは今後何世代にもわたって適切ではない」というものでした。報告書では、マーシャルの人々に対する不当な扱いだけでなく、核兵器が持つ信じがたい危険についても指摘しています。
住民らはビキニ環礁に戻ろう…