コンコン。
車の窓をノックされた。びっくりして外を見ると、知らないおじさんが立っていた。
2年前の9月、石川県輪島市の曽々木(そそぎ)海岸。
当時、東京で働いていた私は、遅めの夏休みをとって能登に来ていた。
ひとりでレンタカーを運転して能登半島を北上し、気になる景色があれば車を止め、雄大な自然をのんびりと満喫した。
近くの岩倉山から切り立った崖が迫り、巨岩が並ぶ曽々木海岸は、国の名勝・天然記念物に指定されている。そのシンボルのような存在が、直径2メートルほどの穴が開いた奇岩、「窓岩」だった。
目の前の駐車場「窓岩ポケットパーク」に車を止め、運転席で地図だかガイドブックだかを開いていたのだと思う。おじさんは、驚かせたことを謝り、名刺のようなカードをくれた。
カードには、窓岩の穴にすっぽりと夕日が収まる写真があしらわれていた。
どんな会話をしたかは、覚えていない。たぶん、目の前にそびえ立つ窓岩について、教えてもらったのだろう。
3泊4日の気ままな旅行を終えて東京に戻ってからも、ことあるごとに能登の広い空と海、黒い瓦屋根が並ぶ穏やかな風景を懐かしく思い出した。
その能登を、今年の元日、大地震が襲った。
短い旅行で親切にしてくれた人たち。飽きずに眺めた風景。あまりにも多くのものが、傷ついていた。
1月末、朝日新聞デジタルの記事で、窓岩も崩れ、岩穴が姿を消したことを知った。
記事には、発災直後とその2日前の窓岩の動画もついていた。
撮影したのは、窓岩の目の前に住む堀井利治さん(76)。ホームビデオで窓岩を撮り続けてきて、発災直後も高台に避難する前に25秒間だけカメラを回したと紹介されている。
もしかして、あのときのおじさんでは?
無事でいてくれたことにほっとした。
3月、私は「能登駐在」の記者になった。
2年前の旅行で出会った人たちを訪ねて歩きたいと思いながらも、なかなかその時間をつくれなかった。
8月、能登はキリコ祭りの最盛期を迎えた。
地域ごとに特徴のある巨大な灯籠(とうろう)「キリコ」が、連日のようにどこかで担がれ、乱舞する。
地震で大きな被害を受け、今年は祭りを見送る地域も多いが、曽々木ではボランティアの力も借りて「曽々木大祭」を執り行うという。
8月17日、曽々木海岸に足を運んだ。
《曽々木は一年中海鳴りの轟(とどろ)いている貧しい町や。冬は日本海からの風が強うて、吹きつのる雪すら遠くへ飛ばされてしまいます》
宮本輝は1978年発表の小説「幻の光」でそう書いた。季節は違うけれど、この日も風が強くて、大きな波の音が響いていた。
日が落ち、崩れた窓岩が見えないほど暗くなったころ、「窓岩ポケットパーク」では、たいまつに明かりがともり、大小のキリコがぐるぐる回り、駆け回った。
そのそばに、ビデオカメラを構える人がいた。
左手に持った懐中電灯でキリ…