Smiley face

 コンコン。

 車の窓をノックされた。びっくりして外を見ると、知らないおじさんが立っていた。

 2年前の9月、石川県輪島市の曽々木(そそぎ)海岸。

 当時、東京で働いていた私は、遅めの夏休みをとって能登に来ていた。

 ひとりでレンタカーを運転して能登半島を北上し、気になる景色があれば車を止め、雄大な自然をのんびりと満喫した。

 近くの岩倉山から切り立った崖が迫り、巨岩が並ぶ曽々木海岸は、国の名勝・天然記念物に指定されている。そのシンボルのような存在が、直径2メートルほどの穴が開いた奇岩、「窓岩」だった。

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地震で崩落する前の「窓岩」=2022年9月11日午前11時24分、石川県輪島市町野町曽々木、上田真由美撮影

 目の前の駐車場「窓岩ポケットパーク」に車を止め、運転席で地図だかガイドブックだかを開いていたのだと思う。おじさんは、驚かせたことを謝り、名刺のようなカードをくれた。

 カードには、窓岩の穴にすっぽりと夕日が収まる写真があしらわれていた。

 どんな会話をしたかは、覚えていない。たぶん、目の前にそびえ立つ窓岩について、教えてもらったのだろう。

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岩穴に夕日が重なり、シルエットで浮かび上がった「窓岩」=2020年11月14日、石川県輪島市町野町曽々木、堀井正行さん撮影

 3泊4日の気ままな旅行を終えて東京に戻ってからも、ことあるごとに能登の広い空と海、黒い瓦屋根が並ぶ穏やかな風景を懐かしく思い出した。

 その能登を、今年の元日、大地震が襲った。

 短い旅行で親切にしてくれた人たち。飽きずに眺めた風景。あまりにも多くのものが、傷ついていた。

 1月末、朝日新聞デジタルの記事で、窓岩も崩れ、岩穴が姿を消したことを知った。

 記事には、発災直後とその2日前の窓岩の動画もついていた。

 撮影したのは、窓岩の目の前に住む堀井利治さん(76)。ホームビデオで窓岩を撮り続けてきて、発災直後も高台に避難する前に25秒間だけカメラを回したと紹介されている。

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「窓岩」の動画を撮り続けている堀井利治さん=2024年1月27日、石川県輪島市町野町曽々木、上田潤撮影

 もしかして、あのときのおじさんでは?

 無事でいてくれたことにほっとした。

 3月、私は「能登駐在」の記者になった。

 2年前の旅行で出会った人たちを訪ねて歩きたいと思いながらも、なかなかその時間をつくれなかった。

 8月、能登はキリコ祭りの最盛期を迎えた。

 地域ごとに特徴のある巨大な灯籠(とうろう)「キリコ」が、連日のようにどこかで担がれ、乱舞する。

 地震で大きな被害を受け、今年は祭りを見送る地域も多いが、曽々木ではボランティアの力も借りて「曽々木大祭」を執り行うという。

 8月17日、曽々木海岸に足を運んだ。

 《曽々木は一年中海鳴りの轟(とどろ)いている貧しい町や。冬は日本海からの風が強うて、吹きつのる雪すら遠くへ飛ばされてしまいます》

 宮本輝は1978年発表の小説「幻の光」でそう書いた。季節は違うけれど、この日も風が強くて、大きな波の音が響いていた。

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曽々木大祭で海沿いの「窓岩ポケットパーク」を巡行するキリコ=2024年8月17日午後9時32分、石川県輪島市町野町曽々木、上田真由美撮影

 日が落ち、崩れた窓岩が見えないほど暗くなったころ、「窓岩ポケットパーク」では、たいまつに明かりがともり、大小のキリコがぐるぐる回り、駆け回った。

 そのそばに、ビデオカメラを構える人がいた。

 左手に持った懐中電灯でキリ…

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