基盤が整わないと、好きなことをやっちゃダメ?=イラスト・中島美鈴

 このコラムでは、注意欠如多動症(ADHD)がある人の意思決定をテーマに、陥りやすい失敗や対処法を紹介しています。

  • 連載「上手に悩むとラクになる」

 前回までに「家を買うべきか賃貸か」といった人生の大きな決断の際には、七つのステップからなる「意思決定プロセス」をたどることで、頭の中が整理できるという話をしてきました。そして、人生や家族にとっての「価値」を確かめる大切さもお伝えしました。

 今回はこうした大きな意思決定の練習になるような、もっと小さな、日常的な意思決定の話をしたいと思います。

友人からの誘いに即答できず…

 ADHDの主婦リョウさんは最近、優柔不断です。古い友達が上京するから会おうと連絡をくれたとします。その場合、独身時代のリョウさんなら、瞬時に「いいね、会おう会おう!」と即答できていました。しかし子どもが生まれてからのリョウさんは、優柔不断にならざるを得ません。

 リョウ「久しぶりに会う友達だからせっかくなら東京をあちこち案内してあげたいし、飲みたいから夜までたっぷり時間をとりたい。でも子どもはまだ小さいし、夫は最近土日はゴルフとかでいないからなあ。夫と交渉しなくちゃだけど、最近私は家事サボってばかりでなんだか気が引けるし、今月お金もやばいしなあ」

 こんなかんじでリョウさんが友達に返事をするまでにいくつもハードルがあるのです。

 リョウ「そのうち夫に相談しよう」

 そう思いながら友達への返事を保留にしました。そして日々のジェットコースターのような仕事と家事と子育てをこなしていくうちに、友達の上京1週間前となりました。友達からは催促の連絡が来ました。リョウさんがはっきりしないので、他の予定が入れられずイライラしているようです。

 リョウ「ちょっと待ってね。今日絶対調整するから」

 その場をなんとかやり過ごしたリョウさんですが、今朝に限ってリョウさんは寝坊して、おまけに昨日うたた寝していたので風呂にも入っていない有り様で。家の中もぐちゃぐちゃなのです。そんな自分に嫌気がさしている状態で夫に交渉するのは気が引けました。「そんなに自分の生活も回っていない状態なのに土日に遊びに行くのか」なんて夫に言われたわけではないけれど、やはり気まずいのです。

 そんな日に限って、今度は娘が熱を出しました。散らかった部屋で、娘がぐったりしていて、「ああ、私が朝起きてちゃんとした朝ごはんを食べさせてあげられる母親じゃなかったから娘も体調を崩してしまったのかな」なんて考えると、余計に交渉できませんでした。

 結局その日の夜もリョウさんは夫に1週間後の外出について交渉できませんでした。

 友達をこれ以上待たせるのは悪いので、リョウさんは謝りのメールをしました。

夫と予定を調整できなかった原因は

 リョウさんに限らずADHDを抱えた方のカウンセリングをしていると、他の方なら当然のように主張できること、交渉できることにさえ「遠慮」してしまう場面をよく目にします。これはADHDの症状ではないのです。しかし、よくよくその「遠慮」の背景を聞いていくと、日頃の生活習慣がうまく回っていなくてパートナーに迷惑をかけているという罪悪感、一人前の大人ができることをこなせていないのに余暇を楽しむなんてぜいたくをしてはいけないのではないか(といいながらもスマホざんまいだったりはするのですが)という懸念が多くあるようなのです。

 これが優柔不断の原因なのですね。

 例えば、「普通の人のように朝起きて、仕事へ行く。これができない」「決まった時間にゴミを出すとか、毎日お風呂に入るとか、そういうのがどうしても無理」「どうしたら部屋が常識的な範囲で散らからずに済むのか見当もつかない」……。

 こうした背景から、「普通の夫婦関係なら対等を目指すべきなんだろうけど、私はさんざん迷惑をかけているから、もうなんにも言えない」「平常点の悪い私は信頼がなくて『借金』だらけなので、主張するなんて無理」と、かなり弱気になっているのです。

 だとしたら、人生を謳歌(おうか)できないし、友達との関係も心配です。本当にやりたいことが日々の生活習慣のせいで台無しになるのはもったいないことです。

 優柔不断の背景には、リョウさんのように交渉(主張)できないだけでなく、次のような心理的なものもあるでしょう。

 ・本当はしたくないことでも断らない(いつも自分が劣っているので相手から見捨てられると思ってしまい、顔色を気にしすぎる)

 ・人に頼まないといけないことでも、頼めずひとりで抱え込んでしまう(日頃自分ができていなくて迷惑をかけているので、今更お願いなんてできない)

 ・夫に交渉、お店や観光先の下準備、友達に連絡などの複数の手順を踏むのが単に面倒

 こうした原因が絡み合って、意思決定のスタート時点で「保留」してしまって、結果的に信頼を失ってしまっているのです。

意思決定を保留しないための3つの助言

 リョウさんにできることは三つあるでしょう。

1. 生活習慣の底上げ(あくまで底上げで完璧は目指さないが、できる範囲で整える努力をしてもらいます)

2. パートナーに「ここまでが私の限界」というのを理解してもらう

3. 私が人生でやりたいことは、基本的生活習慣をすべてクリアできなくてもさせて欲しいと主張する

 お読みになられてどう思いましたか?

 昭和世代の読者のみなさまからするとなんだかもやっとする部分があるかもしれません。

 私たちが親世代に、「ちゃんと自分で犬の世話をするんなら、飼っていい」とか、「成績が落ちないように勉強するんなら、ゲームを買ってやる」とか言われていた、これらのセリフの前半分を思い出しませんか。

 私たちは小さい頃から、基礎的なことをすべてクリアしないと、そこにプラスアルファをのせることが許されない文化で育ってきました。

 もちろん基礎工事がうまくいっていないところに大きな家を建てても崩れるかもしれません。基礎化粧品で整えていない肌にメイクをしても崩れやすいのも同じです。

 でも人生においては、みんな人はそんなに完璧でない。ADHDとともに生きていると、基礎工事(基盤)をすべて整えているうちに人生が終わり得るのです。

 そういう時こそ、思い切って「私は何をするために生まれたんだろう」とフォーカスしてみましょう。そこそこの基礎的なことも一応は頑張るけれど、等身大の自分を早めに見つけて、周囲に理解してもらって、本当にやりたいことにチャレンジする人生を歩む方が健康的だと思いませんか。健康的、いや、現実的なのです。それが最もエネルギー効率がいいとも言えます。

 リョウさんのように遠慮して、うまく意思決定ができずに自己嫌悪になりがちな方は、まずはこんなふうに発想を変えましょう。

〈臨床心理士・中島美鈴〉

 1978年生まれ、福岡在住の臨床心理士。専門は認知行動療法。肥前精神医療センター、東京大学大学院総合文化研究科、福岡大学人文学部、福岡県職員相談室などを経て、現在は九州大学大学院人間環境学府にて成人ADHDの集団認知行動療法の研究に携わる。

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 このコラムでご紹介したADHDについてもっと詳しく知りたい方は、筆者の著書「ADHD脳で困ってる私がしあわせになる方法」(主婦の友社)をお読みください。

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