聞きたかったこと 広島
1歳4カ月の時に起きた、あの日のことは記憶にない。でも、あれさえなければ……と幼心に何度思ったことか。
生まれは、爆心地から約2キロの広島市舟入川口町(現・中区)。父静夫さん、母静子さんと3人で暮らしていた。
1945年8月6日。広信靖之さん(79)=岡山市南区=は、静子さんと2人でいた。父は陸軍に召集され、家を離れていた。
午前8時15分、原爆が炸裂(さくれつ)。「広島原爆戦災誌」によると、住宅地だった舟入川口町の家屋は半分が全壊、残る半分が半壊した。北側から火の手が上がり、広信さんは静子さんに背負われ、近所の人たちと南へ逃げた。当時、広島地方気象台があった江波山公園まで避難し、その日のうちに両親の実家がある吉田町(現・安芸高田市)を目指した。
吉田町では、静子さんと父の実家を行き来しながら、一日一日を送った。当時28歳だった父は帰らず、遺骨も戻ってこなかった。
小学校に入る前のことだった。当時20代後半だった静子さんの再婚が決まり、自分のもとを去った。広島市へ向かう静子さんが乗った車を、走って追い続けた。3キロか4キロか。ちょうどいとこが下校途中に自分を見つけ、連れて帰ってくれた。一生忘れられない出来事だった。
その後は父方の祖父母と暮らし、中高生時代は陸上競技に打ち込み、生徒会の活動に励んだ。大学に進みたかったが、祖父母にこれ以上負担をかけられないと、中国財務局に就職した。
「自分の子として、ずっと思ってくれていた」
その頃から、母の静子さんと時々会うようになったが、当たり障りのない近況の話に終始した。踏み込んだ思い出話をすれば、「なぜ私を捨てて再婚したんだ」と口にしそうだった。
それを聞けば、静子さんを苦…