相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年7月26日、入所者19人の命が絶たれた事件から8年が経ちました。ともに生きるとは、そのために必要なことは――。同園を出て地域で一人暮らしをする重い知的障害と自閉症のある尾野一矢さん(51)、その介助者の大坪寧樹(やすき)さん(56)を訪ねました。そこには「互いの存在を生かし合う」関わりがありました。
津久井やまゆり園にある鎮魂のモニュメント。犠牲者の名を刻む献花台に花をたむけた尾野さんは、静かに手を合わせた。
深い傷、今も
7月26日午後1時過ぎ。8年前のこの日、この時刻、尾野さんは病院の集中治療室で生死の境をさまよっていた。凶行に及んだ元職員の植松聖死刑囚に腹や首などを刺されたためだ。傷は今も残る。
「こんにちは」「活躍していますね」。かつてお世話になった同園の職員や、事件後、フェイスブック「尾野一矢日記」などでつながった人たちから声をかけられると、笑顔で応え、自身の日常生活を紹介する「かずやしんぶん」を渡したり、管理棟で職員との写真撮影に応じたり。
だが、しばらくすると表情が曇り、そばで見守る大坪さんの腕をつねり始めた。「目に緊張感が走っている。事件を思い出したのかもしれません」と大坪さん。
尾野さんは短い言葉で意思を伝える。だがこのときは、「帰りたい?」と聞いても答えはなく繰り返し腕をつかもうとした。大坪さんはその手を握り笑みを向ける。「食べたいものある?」。尾野さんの好きな話題を振ると「ある」と答えた。次第に穏やかな表情を取り戻したが、車に乗り込むと、再び大坪さんの腕をつかんだ。
「問題」ととらえられがちな行動だが、大坪さんの見方は違う。「一矢さんの真剣な目を見てください。まだまだ向き合い方が足りないと訴えているようです」。尾野さんが事件後、同園に来るのは3回目。「大丈夫だろうと思っていましたが、心の傷は深いと思い知らされました」
地域のアパートで「自立生活」 広がる共鳴
尾野さんが施設を出て神奈川県座間市のアパートで暮らし始めたのは20年8月。大坪さんは、その2年前から、「地域での自立生活」を望む尾野さんの両親の意向を受け、週に1度、尾野さんを施設に訪ね、外食や散歩など楽しいと思える時間を少しずつ増やしていった。地域での暮らしが始まり、障害福祉サービス「重度訪問介護」の介助者として尾野さんに寄り添ってきた。
大坪さんの知人が元職員に接見し、尾野さんの地域移行への取り組みを話すと、「できるわけない」と一笑に付したという。
事件は、命に優劣があるとする「優生思想」が社会になお根強いことを突きつけた。事件当時、植松死刑囚の考えに賛同する声が少なからずあった。大坪さんが介助する男性の性に関する悩みを相談した親に「昔なら不妊手術をすればよかった」と男性のかかりつけ医は言い放ったという。
旧優生保護法(1948~96年)に基づく強制不妊手術が違憲だと最高裁が判決を下したのは今年7月3日。旧法が母体保護法に改正されてから約30年もたってからだ。
優生思想は簡単になくならない。でも、尾野さんの生きる姿に共鳴する人は増えている。親愛の証しでもある手遊びを尾野さんに促され、言葉がなくても通じ合えたことに涙が出そうになったという男性もいる。
大坪さん自身、尾野さんに救われたという。
尾野さんに出会う2年ほど前…