いつか、離れて暮らしている母の元へ帰りたい。そう考えていた息子は、慣れない土地で命を絶った。
「どうして連れて帰ってやれなかったのか」
母は今も後悔を抱えたまま、息子を思い続ける。
深夜、息子の携帯からの電話
2019年6月26日深夜。福島県二本松市で暮らす横山美津江さん(63)の携帯電話が鳴った。画面を見ると、富山県で働く三男・和也さんの名前が表示された。電話に出ると、和也さんではなく、消防の救急隊員だった。
「お母さんで間違いないですか? 今、病院に向かっています」
和也さんが自殺を図ったという。蘇生処置の最中だった。
翌日、富山で対面した和也さんは、すでに息を引き取っていた。まだ23歳。こんなにも早く自分のそばからいなくなるなんて。悪い夢でも見ているようだった。
和也さんが、ガラス製品を製造する富山県の工場で働いていたのには理由がある。東京に本社を置くこの会社は、福島県内で工場の操業を予定していた。そこに配属されれば、二本松市で暮らす母のそばに戻れると考えていたからだ。
親子は東京電力福島第一原発事故の避難者だ。全町民に避難指示が出た福島県浪江町から、山形県に避難した。
和也さんはそのまま山形の高校に進学。その後、青森県八戸市の大学に進み、卒業した18年にこの会社に入った。美津江さんは17年春から二本松市の復興公営住宅で暮らし、離ればなれの生活が続いていた。
母のことを、いつも気にかけてくれる息子だった。「母さんの面倒、誰が見るの? 僕がそばにいたらいつでも家に行けるでしょ」。そんな言葉を掛けていた。
遠くないうちに息子が帰ってきてくれる――。美津江さんもその日を心待ちにしていた。
「会社に殺された」
亡くなってから半年余が過ぎ…