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梶本政治さんが医院に掲げた「石綿肺研究会」の看板を手にする長男の逸雄さん=2024年4月10日、大阪府泉南市信達牧野のアトリエ泉南石綿の館、田中章博撮影
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 大阪府の泉南地域でかつて、石綿(アスベスト)紡織業が盛んだった時代から、その危険性を訴え続けた医師がいた。最高裁が国の責任を認めた泉南アスベスト訴訟から10年、医師の没後30年の節目に、長男が記念の冊子「アスベスト被害の警鐘を鳴らし続けた町医者 梶本政治一代記」(B5判、44ページ)をまとめた。21日に泉南市樽井1丁目のあいぴあ泉南で開かれる「勝訴10周年の集い」で披露する。

 医師は泉南市の梶本政治さん。1913年生まれで、94年に80歳で亡くなった。市民団体「泉南アスベストの会」共同代表で、梶本さんの長男の逸雄さん(75)が発行人となり、会の中村伸郎さん(74)が執筆・構成した。

 泉南地域は、戦前から石綿紡織工場が集まり、国内最大の生産地だった。

「患者の胸、パリパリと音がする」

 梶本さんは53年に泉南市で開院。結核を研究していて、細かいちりを吸い込む集じん機を備えるよう石綿工場の事業者に求め、工場で働く人たちにはマスクの着用を勧めた。さらに「石綿肺の患者の胸に聴診器をあてると、パリパリと特徴的な音がする」と話していたという。

 生活が苦しい患者からは診察料をとらなかった。医院に「石綿肺研究会」の看板を掲げ、海外の文献を取り寄せるなど、収入の多くを研究にあてた。

 冊子には、梶本さんが考察した病気の原因や、危険性を訴えた文章を載せている。

 《綿のようにフワッとした感…

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