漫才コンビ「テンダラー」が今月、結成30周年を迎えた。大阪・なんばグランド花月(NGK)を拠点に舞台で漫才を続ける、ボケ担当の浜本広晃さん(50)とツッコミ担当の白川悟実(さとみ)さん(53)。息の合った漫才は「安心感がある」と評判で、劇場のトリを任されることが多い。6月28日から始まる30周年記念公演を前に、「舞台漫才への愛」を聞いた。
――1994年に結成し、6月で30年になる。これまでの活動を振り返っていかがですか。
白川 圧倒的に短かったですね。あっという間で、「ほんまに30年やってたんかな」って思うぐらい。体感でいうたら、10年しか経ってないです。
浜本 自分たちが(お笑い界に)入った当時のオール阪神・巨人師匠の年齢を、もう超えてるわけでしょ。気持ちは20代のころのままですね。
――ショーパブで働いていた時に知り合い、コンビを結成した。2人でお笑いをしようと思ったきっかけは。
浜本 ショーパブって、ステージで踊ったりコントをしたりするようなお店やったんですよ。その時にお笑いもしてて。白川君が梅田で、僕が難波。いわゆる他店の同僚だった。
白川 月に1回、店のボウリング大会で顔を合わせる程度やったよな。
浜本 心斎橋の2丁目劇場(1999年閉館)でオーディションがあるって聞いて、昔、(吉本興業の)養成所に行ってた白川君を誘った。「一緒に出てくれへん」って。ノリで受けたつもりやってんけど、受かってもて。それで店を辞めて2人で漫才をすることになったんです。
白川 懐かしいな。忍者の先輩、後輩のネタで出たよね。ええ音が鳴るからって理由で、スリッパではたいてツッコんでた。最初、コンビ名の表記が「10$」やったんですよ。劇場でお客さんが読めず、カタカナの「テンダラー」に。お店の慰安旅行でハワイに行った時につけた名前やから、もしかしたら「5$」やったかもわからないですね。
――若手のころから舞台でも大ウケだったんですか。
白川 全然。すべった記憶ばっかりですよ。あのころは本題に入る前の「つかみ」の部分がなくて。それではお客さんをひきつけられへんかった。
浜本 舞台によって、お客さんの年齢層って違う。たとえば子どもが多いなら、ちょっと動きを増やすんです。子どもって意外とバカにできへんのですよ。子どもが笑ってたら、親も安心して笑える。子どもが集中してなかったら、親の視線は子どもに行きますから。
――舞台とテレビだと、ネタの時間が違う。同じネタでも印象が変わりますよね。
浜本 テレビやと3分のネタ…