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描いたカープ坊やを手にするガリバー岡崎さん=2025年2月21日、広島市中区、上山浩也撮影
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 プロ野球・広島東洋カープのマスコットキャラクター「カープ坊や」が6月に50歳の誕生日を迎える。ファンに愛され続けるマスコットの生みの親は、広島市東区のイラストレーター「ガリバー岡崎」こと岡崎福雄さん(78)。「最初は10年も持つとは思わなかった。皆さんに応援していただいたおかげ」と目を細める。

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 カープ坊やが誕生したのは1975年6月21日。この年、元大リーガーのジョー・ルーツ氏がカープの監督に就任すると、帽子の色を紺から赤にするなどチーム改革が始まった。球団はマスコットキャラクターを募集。それまで選手たちが自ら運んでいた、バットなどの道具を運ぶトラックに描かれるものだった。

 岡崎さんは高校まで福岡市で育った。デザイナーをめざして進学を考えていたものの、家庭の事情で進学を断念。20歳になる年に、親戚の勧めで広島市内の広告代理店で働き始めた。

 当初はデパートのディスプレーなどを担当する一方、好きな絵を描き続けて会社の先輩のイラストレーターに見てもらっていた。その成果もあり、入社3年目からグラフィックデザインに携わる部署へ。カープ関連の担当になり、球団カレンダーなどの作成に携わった。

 福岡での少年時代は、パ・リーグの地元球団、西鉄ライオンズ(現・西武)のファンで、選手の家にサインをもらいに行ったこともあったほど。マスコット案の募集を知ると、コイのデザインも考えたが、「子どもには夢があり、未来がある」と、子どもを主役にしようと決めた。

 岡崎さんの作品がマスコットに採用されると、道具運搬車だけでなく、選手のTシャツなどにもデザインされた。その年、カープは快進撃を続けた。

 同年10月15日、初優勝を決めた日のことを岡崎さんは覚えている。後楽園球場での巨人戦を社内でテレビ観戦した。「最後に巨人の柴田(勲)がフライを打って、レフトの水谷(実雄)が捕って優勝。すごくうれしかったなあ」

 カープは球団創立の50年以降、セ・リーグでの最高順位は68年の3位が1度。下位争いばかりから一転、リーグの頂点へ。この年に生まれたカープ坊やは球団マスコットとして定着した。

 いまや、カープ坊やは12球団の既存マスコットの中で最年長となった。本拠マツダスタジアム周辺などのマンホールのふたにもデザインされ、広島市民にとっても身近な存在だ。「私にとっても特別な存在。『50年おめでとう』の文字を街中で見かけたときは、本当にうれしくなった」

 独学から道を切りひらいてきた岡崎さんの目標は二つある。

 一つは、イラストレーターとして生涯現役を貫くこと。もう一つは、84年以来のカープの日本一を見ることだ。

 「今年は本当に楽しみ。投手力があるし、打力もある。去年の終盤に失速してしまった悔しさの雪辱を、今年はぜひ果たしていただきたい」

カープ坊や50周年記念展示、マツダスタジアムで

 カープ坊や50周年記念展示が、マツダスタジアム2階のカープギャラリーで開かれている。歴代ユニホームを身にまとったカープ坊や人形などが展示されているほか、カープ坊や誕生直後のチームの映像なども放映されている。ギャラリーの営業時間は、スタジアムで試合のない日は午前10時~午後4時。6月30日まで。

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