被爆体験をもとに描いた絵画を披露する学生ら=2024年7月31日午後2時37分、福岡市中央区、中山直樹撮影

 79年前、広島と長崎に原爆が投下されたあの日、私たちが目にしたものを絵にして――。そんな思いを受け、九州産業大芸術学部(福岡市)の学生が、福岡市で暮らす被爆者から体験を聞き、絵画にした。7月31日に披露され、被爆者は涙ながらに感謝を述べた。

 がれきの中で全身にガラスの破片が刺さった母親が立ちすくんでいる。

 森律子さん(85)が6歳の時、広島市で被爆した直後に見た光景だ。つぶれた家の下敷きになり、はい出した先に母がいた。燃えさかる家々の間を、母をおぶった父と逃げた。

 絵を見た森さんは「母の顔がそっくりです。あの日のことが一瞬でよみがえりました」とあふれる涙をぬぐった。

 絵を描いた浦川結衣さん(21)は「できるだけ忠実に、森さんの記憶を表現したかった。絵を描く中で、なぜこんなひどいことが起きてしまったのか何度も考え、平和への思いが強くなった」と話した。

 東陽音さん(21)は、長崎市で被爆した松本隆さん(89)から聞き取った原爆投下直後の噴煙を表現した。黒や白、紫や赤など様々な色がちりばめられている。

東陽音さん作「原子雲」

 松本さんは「原爆の『キノコ雲』の写真を見た人は、その下も白い煙だと想像するかもしれない。でも、私が実際に見た煙は、こんな色だった。ずっと表現したいと思っていたことを形にしてくれた」と話した。

 釜崎照子さん(86)は、7歳の時に長崎市で被爆した。亡くなった人が大八車で折り重なって運ばれる光景が目に焼き付いている。

松野美月さん作「惨憺の残影」

 話を聞き取った松野美月さん(21)は、釜崎さんの瞳に、その光景を映し出すことで記憶の強さを表現した。「何度も当時の話を聞いて、色や構図もこだわった。やりがいがありました」と振り返った。

 福岡市原爆被害者の会が昨年…

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