殺すなんてかわいそうだ――。
クマが駆除されるとそんな批判が時として巻き起こる。その矛先となった自治体の業務は滞り、被害者の「自己責任」を問う声も出てくる。市民の命や生活を守るためのやむを得ない対応が、なぜ攻撃の的となるのか。筑波大学の原田隆之教授(臨床心理学)に話を聞いた。
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――クマが駆除されると、批判が殺到することがあります。なぜでしょうか。
「クマはアニメやぬいぐるみなど、様々なものに擬人化されています。擬人化は共感性が集まりやすく、感情移入しやすい。『クマは何も悪くない』『おなかがすいていただけ』などと、勝手に立場や感情を人間に準ずるものとして扱われがちになります」
「結果、直感に寄りすぎた『義務論』的な反応が起こりやすい。義務論は倫理学の用語で、自分がどのような義務を守るべきか倫理的に判断することです。『かわいそう』だから『守るべきだ』というのは、感情的で短絡的ではないでしょうか」
――「かわいそう」という感情を抱くことは仕方がないのでは。
「それは感情ですからね。ただ、もっと様々な要因を考えるべきです。人間は理性的だと思われていたけれども、早い思考、つまり感情的な直感に頼りやすい。2002年のノーベル経済学賞では、人間は非常に感情的で感情に動かされやすいことを踏まえ、経済に心理学の研究成果を応用した『行動経済学』で、心理学者でもあるダニエル・カーネマン氏が受賞しました」
自己責任論の裏には「公平世界信念」
「一度立ち止まり、『その考…