コメの安定供給や増産に向けて、政府は5日、石破茂首相をトップとする関係閣僚会議の初会合を開いた。61年前、コメの増産のため、国内で2番目に広い湖を干拓し、誕生した秋田県大潟村。その直後に「減反政策」が始まり、国策に翻弄(ほんろう)された。政府のコメ政策が再び大きく変わろうとする中、村の農業法人会長の涌井徹さん(76)は小泉進次郎農林水産相に一通の手紙を送った。
――1964年に誕生した大潟村には全国から多くの農業者が集まり、涌井さんも1970年に入植しました。しかし、同じ頃、コメの生産を抑制する「減反政策」が始まり、国策に振り回されました。そして、今回のコメ価格の高騰を受け、改めて「減反」の見直しの議論が始まりました。
1970年代に始まった「減反」ですが、すでに国の「減反」は2018年に廃止されたと言われています。しかし、コメ以外の農作物を作れば補助金が出るなど、現場ではコメの生産を調整する事実上の「減反」が続いていました。
私の人生は「減反」との闘いでした。ようやく議論が動いてきたことはうれしいです。こうした時だからこそ、農業をよくするために前向きな議論が必要です。
コメの需給調整、「サーカスの綱渡り」
――政府に求めることは…