北海道胆振東部地震で被災した自宅で話す紺野順子さん=2023年12月14日、札幌市北区、上保晃平撮影

 記者の仕事はサヨナラであふれている。何十年もの人生を数十分聴いてサヨナラ。数十分の話を数十行にしてサヨナラ。私たちはそうやって、事件や事故、災害によるたくさんのサヨナラを記事にしている。どうしようもなく暗い気持ちになったときは、井伏鱒二の名フレーズをそっとつぶやく。「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」

 だけど、サヨナラだけではないと思える出来事が18日にあった。旧優生保護法の学習会を取材した際に偶然、電動車いすで暮らす紺野順子さんと1年半ぶりに再会した。

 紺野さんは、2018年の北海道胆振東部地震の大規模停電でマンションのエレベーターが止まり、自宅に取り残された。携帯電話や人工呼吸器の電池残量も徐々に減っていき、不安な夜を過ごしたという。

 私は障害者の防災を考えるシンポジウムでその経験を知り、後日自宅で詳しく話を聴いた。専門家にも見解を求め、昨年2月に記事にまとめた。

  • 災害時の障害者、「取り残され」を防ぐには 大規模停電から得た教訓

 「あなたの記事がきっかけで、テレビ局が取材に来てくれた。地味なシンポジウムだけど続けていこうね、とみんなで話している」

 紺野さんと再会し、記事が新たな出会いを生んだことを知った。記者の仕事はサヨナラばかりだけど、取材を受けてくれる人たちは、私との出会いに懸けて、話をしてくれている。だから私は、たくさんの人と出会い、丁寧に記事を書き続けよう。

 井伏のフレーズを気に入り、処世訓とした寺山修司だって、こんな詩を残している。「さよならだけが人生ならばまた来る春は何だろう」

 3月末で北海道を離れる私には、こちらの方がぴったりだと思った。

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