国際女性デーのシンボル、ミモザの花

Re:Ron連載「みたらし加奈の味方でありたい」第18回

 【20代の女性です。最近、SNSでフェミニズムについて知りました。でもそういった投稿には、すごい勢いで反対意見がついていて、生活の中でフェミニズムについて話すことが怖いです。勇気を出して、周りの女友達に話しても「フェミニストって怖い」「ジェンダー不平等なんてあるの?」と言われてしまって、なにも言えなくなってしまいます。思想が強いと思われてしまったら、彼氏もできなくなっちゃうんじゃないか……そうとらわれている自分も嫌です。加奈さんはどう感じますか?】(真美)

 真美さんが感じている不安、その景色、私自身も記憶がある。

 フェミニズムについて語ることすらはばかられたり、冷笑や嘲笑の的になったりしてしまう感覚も。

 フェミニズムの認知度は広がり、今では政治に関心がない人たちも「フェミ」という言葉を使うようになった。しかしその多くは、賛同によるものではない。“感情的で、ささいなことで怒り、反応をしている女性”に向けられるものだ。ヒステリックという言葉の起源が女性に向けられて作られた歴史のように「フェミ」はいつしか冷笑のために使われる言葉となっていった。

 一方で真美さんの前でこのようなことを伝えるのは忍びないが、私自身も「フェミニストって怖いよね」と笑って話していた記憶はある。それで塞いでしまった口が、どれほどあっただろう。

 フェミニズムというものに自ら触れようと思ったのは、同性のパートナーができたときだった。女性同士で暮らしていくなかで、自分が今まで透明にしてきた記憶がよみがえってきたのだ。連載でも何度か触れているが、私自身が「女の形」を持って生まれてきたことで、自分の意思ではあらがえないものはたくさんあったように思う。それらは、男性と交際をしているなかではくみ取れなかったもので、むしろそれに気づいてしまったら「異性愛前提かつ恋愛至上主義の世の中から取り残されてしまう」とすら感じていた。

 「男性に好かれたい」という思いが薄れて初めて、私はフェミニズムに出会えた。それはある種のトラウマからの脱却だったのだと思う。

 ただ、そのトラウマによって立ちはだかった壁もある。今回は真美さんの想(おも)いにお答えするかたちで、トラウマとフェミニズムについて言葉をつづっていきたい。

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 とくに20代のころ、「日本におけるジェンダー平等」が達成されているように私も感じていた。周りにも、同じ感覚を持つ子たちは多くいた。これには、日本の女性の高い教育水準も関係しているのだと思う。大学進学率は男女ともに50%を超えていて、昔に比べたら理系分野への進出は増えてきたように感じる。また仕事についたとしても、男女雇用機会均等法によって、法律上では「性別による差別」は禁止されていて、働き出した当初は平等な機会を与えられているように思えた。

 いま思えば「女の子だから」で制限されてきたこともたくさんあったはずなのに、自分自身が身を置く学校や会社などのコミュニティーでは機会が保証されているように感じて、実体験として「差別」を感じることはほとんどなかった。進学でも就職でも、自分の努力次第で道を切り拓(ひら)けるように思えていたからだと思う。

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 しかし、実際の日本社会を見渡すと、深刻なジェンダー格差は残っている。とくにライフステージが変化し、会社のなかで立場が上になっていくにつれて、その壁は立ちはだかる。

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