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昨年12月の関西大学リーグ入れ替え戦で攻める大体大バックス。敗れたものの、力強い攻めがよみがえってきた=2024年12月14日午後0時12分、奈良県天理市の天理親里ラグビー場、渋谷正章撮影
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 ラグビーの全国大学選手権に27回出場し、日本代表を多く生んだ大阪体育大(大体大)が冬の時代にいる。関西大学リーグで2019年にBリーグへ転落し、以降昇格できていない。トンネル脱出へ明るい兆しもある。

 大体大ラグビー部は1968年創部。日本代表の名選手だった坂田好弘・元監督のもと80年代から頭角を現した。85年11月には前年度まで3年連続大学王者だった同志社大に快勝。関西大学リーグでの同大の連勝を「71」で止めた。87年度の全国大学選手権で明治大を破り初のベスト4。89年度、2006年度にも準決勝に進み、存在をアピールした。

 日本代表も多く生んだ。豊山昌彦選手は03年、和田哲元選手は07年のワールドカップ(W杯)に出場した。菊谷崇選手は11年のW杯日本代表主将を務めた。伝統的にパワフルな選手が多く、大きな体と闘志あふれるプレーから「ヘラクレス軍団」と呼ばれ、全国に恐れられてきた。

 しかし、坂田監督が12年度に退任したのを境に、次第に成績が落ちた。14年は関西Aリーグで全敗し、入れ替え戦で関西大に敗れてBリーグに降格。18、19年はAリーグに昇格したが、19年の入れ替え戦で再び関西大に敗れ、Bリーグでの戦いが続いている。

 かつては教師を目指す高校生選手が大体大に多く進学し、チーム力向上につながった。近年は関東への選手流出に拍車がかかり、教員人気も低下。選手層が薄くなった。部の規律は緩み、選手が練習を休みがちになるほどだったという。

 昨年2月に就任した長崎正巳監督はチームのあり方から見直した。練習参加を義務づけ、けがをしない体作りから始めた。近年になく練習は激しくなった。関西大学Bリーグでの失点は一昨年が1試合平均約13だったが、昨年は4を切り、数字上は1トライも許さなかった。

 ただ、Aリーグは甘くない。奈良県天理市で昨年12月にあった関西大との入れ替え戦は前半を15―0でリードしたものの、6点リードで迎えた後半ロスタイム、5分以上ボールをつながれトライを許した。ゴールも決まり、1点差の敗戦で6年ぶりの昇格は消えた。

 堀田凌永主将は「Aリーグは手の届かないところだと思っていたが、そうではないと分かった。次は後輩が絶対やってくれる」。長崎監督は「4年生を中心に土台を築いてくれた。あとはどれだけ上積みできるか」。安定したスクラムやラインアウト、厳しいタックルは新チームでもこだわって強化する。冬から春へ。「ヘラクレス」復活に向けた挑戦は続く。

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