「ヨーロッパの火薬庫」がふたたび危ない。かつて世界大戦のきっかけとなり、冷戦後には悲惨な内戦が起きた地で、民族間の対立が激化している。ロシアの影もちらつくなか、この地で生きる若き政治アナリストは、「西側」の行動を求める。
今年4月、190センチを超える強面(こわもて)の大統領がモスクワを訪れた。彼の名はミロラド・ドディック。ボスニア・ヘルツェゴビナ(以下ボスニア)の構成国の一つ、スルプスカ共和国を率いる。
実は当時、ドディックはボスニアの中央政府から指名手配されていた。しかしロシアのプーチン大統領は歓迎する。論考の筆者で政治アナリストのイスメット・ファティフ・チャンチャール氏は「ロシアほどボスニアの不安定化を望んでいる国はないだろう」と話す。
一体、何が起きているのか。まずは歴史を振り返る必要がある。
月1回の「論壇時評」掲載に向けて、論壇委員が推薦した論考を1本選んで、詳しく紹介します。今回はイスメット・ファティフ・チャンチャール氏の「ボスニアの不安定化と欧州 徘徊しだしたセルビアナショナリズム」(フォーリン・アフェアーズ・リポート6月号)を取り上げました。
多民族が複雑に入り組むバル…