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万博会場の夢洲=2024年6月17日午後2時5分、大阪市此花区、朝日放送テレビヘリから、白井伸洋撮影

 2025年大阪・関西万博まで300日を切った。6月下旬には「参加者会議」(IPM)が奈良市で開かれ、約160の国・地域、国際機関から約600人が参加した。だが、海外パビリオンの建設の遅れなどが指摘されるほか、過去の万博に比べて「盛り上がっていない」という声は少なくない。

 準備状況をどうみるのか。そもそも、いまなぜ万博が必要なのか。IPMにあわせて来日した万博の元締、博覧会国際事務局(BIE、本部・パリ)のディミトリ・ケルケンツェス事務局長に聞いた。

 ――今回の万博では、パビリオン建設や交通、あるいはメタンガス爆発による会場の安全性など、さまざまな問題が指摘されています。

 「問題が持ち上がるのは、今回特有のことではありません。私たちは、どれもすでに解決に取り組んでいます。二つや三つ、遅れているパビリオンはありますが、98%の建設は進んでいます」

 ――問題が今回だけではないというのは?

 「前回のドバイ万博では、建設が遅れたパビリオンが多くありました。前々回のミラノ万博でも、開幕直前に仕上げの工事が行われていて、会場を注意深く見渡すと、建物の陰に工事の資材が隠されていました。資材が不足するとか、届かないとか、さまざまな問題が起こりうるのです」

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インタビューに答える博覧会国際事務局のディミトリ・ケルケンツェス事務局長=2024年6月27日午後4時33分、東京都港区虎ノ門1丁目、小林正明撮影

 「もし日本が会場をすべてつくるなら、望んだ日までに確実に準備が終わることに、私は疑いを持ちません。しかし実際には参加する160カ国・地域の話を調整しなくてはいけません。異なった価値観、時間軸、予算を持つひとたちが共に働く、非常に複雑な運営です。だから、日本政府と万博協会の働きを認めてほしいと思います」

 ――かつて愛知万博にも来られたそうですが。

 「2003年にBIEに入り、05年の愛知が最初の万博でした。実は当時の私は、万博に疑問を抱いていました。インターネットもあるし、航空運賃も下がって世界のどこにでも行ける。世界をつなぐことは難しいことではない、と考えていました。それが愛知で変わったのです」

 ――どんな思い出がありますか。

 「愛知万博には、グローバルループという高架の歩道がありました。高架なので、歩くとブンブンと音がしました。そして私が着いた日の朝、そこにいると、ブンブンいう音がどんどん近づいてくるんです」

 「何事かと思ってそちらを見ますと、お年寄りの集団が走ってくるんです。そして、こちらを見ることもなく、走り去っていった」

 ――すごいですね。

 「会場では毎朝その日に行われる、ある国の『ナショナルデー』イベントの入場整理券が配られていました。それを手に入れるために多くの人が早朝に来ていたんです。高揚感を目の当たりにしました。デジタルは、会場での体験を置き換えることはできないと実感したのです」

日本人に「誇りを持ってほしい」と願うわけ

 「海外パビリオンで、異なった文化、異なった食事に興奮する子どもたちも目にしました。外国料理のレストランは各地にあっても、万博ほどの種類がそろうところはありません。そこで気づきました。『国境を超える』などと言われてきたにもかかわらず、世界は案外バラバラなんだと」

 ――確かにそうかもしれませ…

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