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「現代の名工」受章の記念祝賀会での小松忠二さん(中央)=2010年12月19日午後4時46分、秋田県大仙市、大曲商工会議所提供
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 「大曲の花火」の礎を築いた花火師の小松忠二さんが22日、老衰で死去した。93歳だった。葬儀は6月1日午後1時から、秋田県大仙市大曲浜町7の39のグランドパレス川端で。喪主は長男忠信さん。

 1931年、内小友村(現大仙市)生まれ。1885(明治18)年創業の「小松煙火工業」の4代目として、戦後間もない46年に花火師になった。真円を描く花火「割物(わりもの)」を得意とした2代目の祖父宮治、3代目の父房之助に師事した。

 50年代に筑北火工堀米煙火店(茨城県)で修業し、当時「究極の花火」と呼ばれた芯入割物「八重芯(やえしん)」の技術を習得。研究を重ね、「八重芯変化菊残光」と呼ばれる作品を完成させ、「丸い花火といえば小松」と称された。

「大曲のカリスマ」

 高度成長期の70年代初頭に米国輸出を開始。80年代には、大曲の花火「中興の祖」と呼ばれた故佐藤勲氏と共に「大曲の花火協同組合」を設立。旧西ドイツのベルリンで打ち上げるなど、国際化を推し進めた。こうした功績が評価され、2010年に「現代の名工」を受章した。

 忠二さんと50年来の付き合…

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