それぞれの最終楽章 認知症の家族をみとって(8)
スウェーデン福祉研究者 藤原瑠美さん
2019年7月の日曜日、83歳の夫は誤嚥(ごえん)性肺炎で東京都大田区の総合病院へ救急搬送された。前の晩、ベッドへ横になった途端にせきが止まらなくなり、朝になって駆けつけてくれたかかりつけ医から「入院して専門医に診断を」と言われたのだ。
病院で見た夫の肺のX線画像は真っ白で、夫が入った個室に私も泊まり込むことを決めた。理由は、夫がその1カ月半前に突然おしっこが出なくなり、私が1日3回膀胱(ぼうこう)にカテーテルの管を差し込んで導尿をしていたことと、介護4の夫を入院中に寝かせたきりにしたくなかったからだ。私は夜中のたんの吸引も看護師の手ほどきを受けて習得した。
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夫が少しずつ快方へ向かっていたある日、病院の講堂でミニコンサートが催された。演奏するのは病院のスタッフで、車椅子の夫と私は前列で聴いた。事務職の制服を着た女性が唱歌「ふるさと」を歌った時、私は心底、驚いた。横で聴いている夫が、その美しく豊かなソプラノに心を奪われているのが、表情から伝わってきたのだ。認知症の進行で会話が少なくなっていたが、あの時の夫は音楽に深く魅了されて、自分が生きていることを実感していたのかもしれない。
3週間後の8月上旬、夫は退…