歴史・考古学系の学界関係者らが立ち入り観察した大山古墳=2025年3月7日午後、堺市堺区、朝日新聞社ヘリから、伊藤進之介撮影

 国内最大の巨大前方後円墳、大山(だいせん)古墳(堺市)の墳丘に、戦後初めて歴史・考古学の学界関係者が立ち入った。宮内庁が仁徳天皇陵とし、世界遺産にも登録された盟主的存在の「観察」から見えてきたものは――。

 古墳と聞いて大山古墳の空撮写真を思い浮かべる人は多いはず。5世紀の築造で墳丘長は486メートルとされ、均整のとれた鍵穴形の姿は教科書でもおなじみだ。3月7日、その墳丘を17学会・協会の代表者が踏みしめた。宮内庁職員に案内されてボートで濠(ほり)を渡り、約2時間かかって1段目のテラスをめぐった。

 宮内庁が管理する歴代天皇らの「陵墓」は非公開だが、学界側は重要な歴史遺産として同庁と交渉を続け、2008年に最初の立ち入り観察が実現。今回で立ち入りは第17回、18カ所目となったが、古墳文化の象徴ともいえる大山古墳は、要望リストの第一に挙げられてきた重要候補だった。明治5(1872)年、堺県(当時)の調べで絵図などの記録が残されたが、その後厳しく規制されて今に至る。墳丘をめぐる堤では18、21年に宮内庁と堺市が共同調査を実施しているが、濠(ほり)を隔てた墳丘自体は神秘のベールに包まれた「聖域」だっただけに、今回ひとつの節目を迎えたといえる。

 立ち入り後に開かれた検討会…

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