大山古墳(伝仁徳天皇陵)の副葬品と発表された、金銅装刀子=2025年6月19日午後1時49分、大阪府の堺市博物館、小林一茂撮影

 国内最大の前方後円墳で、世界遺産の大山古墳(伝仁徳天皇陵、堺市)から出土したとされる副葬品が見つかった。堺市や国学院大学博物館などが19日、発表した。

 明治初期の調査で出たとみられる刀子(とうす=小刀)などを同博物館が美術商から買ったといい、これまで存在が知られていなかった。大山古墳の副葬品のうち、現在、実際に見ることができる唯一の例という。

 刀子は10.5センチで2片に断裂し、金めっきを施した銅板の付いた木製のさやに収まっていた。大山古墳が築造された5世紀の段階では、国内外に類例がないしつらえという。ほかに鉄の地金に金銅板を重ねて貼った甲冑(かっちゅう)片などがあり、いずれも、明治5(1872)年に発見されたことを記す包み紙に入っていた。

 大山古墳は明治5年、当時の堺県からの報告を受けた国によって調査されている。前方部の崩れていた石室内にあった甲やかぶと、ガラスの器、太刀金具、鉄刀などが確認され、一部は絵図に描いて記録した上で、すべて埋め戻したという。

 今回見つかった刀子と甲冑片の包み紙には、絵図を描いた絵師・柏木貨一郎が使っていた朱印が押されている。刀子は絵図には描かれていない。

 国学院大博物館は昨年6月に国内の美術商から購入したといい、柏木が副葬品の一部を手元に残していたとみている。

 元宮内庁陵墓調査官の徳田誠志・関西大客員教授は、大山古墳の外で初めて見つかった副葬品と評価し、「絵図でしか知られていなかった副葬品の実物が出てきたことは最大の価値。今後の仁徳陵古墳の調査が進むだろうし、それを期待している」と話した。

 大山古墳の副葬品をめぐっては、米ボストン美術館にも同古墳から出土したとされる資料があるが、近年の調査で年代が違うとの説が有力となっている。

 副葬品は、7月19日~9月7日に堺市博物館で開かれる企画展「堺のたからもん―金で魅せる・黒を愛でる―」で公開される。

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