女川原発=2024年10月29日午前、宮城県女川町、朝日新聞社ヘリから

 今でも忘れられない、忘れたくない取材がある。

 昨年5月、宮城県に赴任した。県北東に位置する牡鹿(おしか)半島には、東日本大震災で被災し、運転を停止した東北電力女川原発(女川町、石巻市)がある。

 赴任して1カ月が経つ頃、原発の再稼働に向けた取材の一環で、原発近くに住む50代の女性に出会った。「きっと、再稼働するのは不安なんじゃないかな」。そう思い、震災当時の話を聞いた後で「女川原発の再稼働についてどう思いますか」と尋ねた。

 ところが、女性の答えは「特に何も思わない」。私は「でも、不安とかないですか」と重ねて聞いた。すると、女性は「今さら、我々市民にもっと騒いでほしいわけ?」と言った。

 言葉が出なかった。話を聞くはずが、自分の気持ちを押し付けるような質問をしてしまった情けなさに顔が熱くなった。

 聞けば、女性のマスコミに対する憤りは震災のときから芽生えていた。震災直後、避難所生活を送る中で、東京電力福島第一原発の事故のニュースばかりだと感じた。周辺の被害はどうなっているのか、どこに行けば食料が手に入るのか、今、知りたい情報を伝えてくれるメディアはなかったという。

 「各紙、どこの局も、みんな放射能、放射能って。あんたたち、報道するのはいいけっども、我々の、津波で、地震で、被災にあった浜はどうなってんのって、そこに怒りを感じた」

 物心がついた時から原発の近くに住む女性にとって、再稼働に不安を感じることもないという。「(原発と)隣り合わせてつぎ合ってきたんだもんね。今さらどうしようも、できねえちゃ。だから、再稼働って言われてもピンと来ねえんだよね」

 1時間を超える取材の最後、女性からは「たくさん勉強して、頑張ってね」とも励まされた。

 仕事がうまくいかないとき、本音を話してくれた女性の言葉を思い出す。記者は当事者にはなれない。だからこそ、自分の思い込みを捨て、まず聞く。いま本当に伝えるべき情報は何か考える。取材とは何か、話を聞くとは何か、報道とは何か、本気で考えるきっかけとなった出来事だった。

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