Smiley face
写真・図版
ホームケアステーションさてとのスタッフたちと佐藤仙務さん(中央)=佐藤さん提供

 世の中では介護人材不足が取り上げられている。だが、私はこのニュースを見るたびに懐疑の念を抱く。本当に人材は足りないのだろうか?

 2024年春、私は自身が経営する会社で、障害者の訪問介護事業所を立ち上げた。事業所名は「ホームケアステーションさてと」。事業所を立ち上げた理由はいくつかあるが、その根底には、自身の体験から、重い障害や難病を抱える人たちにも「さてと、今日はどんな一日にしよう」と前向きに日々を始めてほしいという思いがある。

  • コラム「寝たきり社長の突破力」

 私は生まれつき脊髄(せきずい)性筋萎縮症(SMA)という難病を患っている。SMAは進行性の病気で、成長とともに筋力が徐々に衰えていき、歩くことはもちろん、座ることさえ困難になり、日常生活のすべてにおいて全介助が必要になる。この病気には根本的な治療法がなく、介護が日常生活の中で欠かせないものとなる。

「月に一度でいいから自由に外出がしたい」

 私が初めてヘルパーを利用し始めたのは中学生のころだ。母が訪問介護会社とやりとりしてくれたが、希望する日時にサービスを受けるのは難しく、会社の空き状況に合わせるしかなかった。中学3年間で、ヘルパーを利用できたのはわずか数回。高校を卒業し、自分で訪問介護会社との調整をするようになったが、自分の望む日や時間に、私の状態を理解したヘルパーを派遣してもらうことは依然として難しかった。計画していた外出の直前にキャンセルされることも多く、そのたびに友人たちに「ごめん、また行けなくなった」と連絡することが続いた。「障害者が自由に生活するのは難しい」という思いが、次第に私の中に定着していった。

 新たな訪問介護会社を探し、何十件も電話をかけたけれども、どの会社も「新規契約の余裕はありません」と断られた。あきらめかけていた時、ある訪問介護会社の社長が私の生活を変えるきっかけとなった。彼は私の話を真剣に聞いてくれ、スムーズに訪問の約束が取れた。それまで冷たく断られることに慣れていた私にとって、この出来事は大きな驚きだった。

 その社長は、介護業界の一般的なイメージとは異なる人物で、話し方も気さくだった。彼は「何かご希望はありますか?」と尋ねてきたので、私は「月に一度でいいので、友人と自由に外出ができればうれしい」と答えた。すると彼は「月に一度だけでいいんですか?」と驚いた表情を見せた。私は「それすらも難しかった」と返すと、彼は窓の外を見ながら「今日は素晴らしい天気ですね。外出を天気や気分で自由に決められるのが当たり前だと思います」と言った。その瞬間、私の中で何かが変わった。自分の生活がもっと豊かになる可能性を強く感じたのだ。

 どうすれば自分の望む生活が送れるのか。その答えは、私を支えてくれる人々が必要だということだった。

 それから、「自薦ヘルパー」という制度も試した。自分でヘルパーを募集し、面接を経て採用する方法である。気管切開や胃ろうといった医療的ケアが必要な私にとって、ヘルパーには特別な研修が必要だった。時間も手間もかかったが、最終的には理想的なヘルパーたちに出会い、私の生活は劇的に変わった。

 その日の気分や天気に応じて、自由に外出ができるようになり、友人とも気軽に遊びに行けるようになった。行きたかったカフェやレストランにも足を運べるようになり、何よりも、長年私の介助を続けてくれた母の負担も大幅に軽減することができた。

事業所の立ち上げで知った「埋もれた人材」

 こうした出会いや経験から、私はホームケアステーションを立ち上げることを決意した。重い障害や難病を抱える人々が、もっと自由に、もっと自分らしい生活を送れるようサポートすることを目的としている。事業所を立ち上げるにあたって必要な資金はクラウドファンディングで募り、160人以上の方々が寄付を寄せてくれた。

 ひとつ懸案は、人材が確保できるか、ということだった。ところが驚いたことに、求人には多くの応募があった。面接をして、理念に合わない人材は断ることもあった。世の中では介護人材不足が取りざたされているが、資格を持っていて、働きたい意欲のある人は、こんなにもいるのだと知った。

 ただ、働ける時間には個人差があって、「1時間だけ」「週1日だけ」という希望の人もいた。待遇や職場環境、働くための条件などが合わないから、働いていないだけなのだ。こうした希望に沿えずに採用しないのは、会社の怠慢なのだと私は思う。

 私の事業所では、利用したい人のニーズと、働きたい人のニーズを、きめこまかにマッチングしてサービスを提供している。採用の時に重視したのは、週5日働けることよりも、介護者の人間性と、介護の仕事が好きかどうかだ。ここが意外と重要な点で、介護人材不足と嘆く会社ほど誰でも構わず採用してしまい、サービスの質が落ちて悪い評判が流れ、結果として求人の応募者が減ってしまうのだ。

支援する側の役割、忘れずに

 事業を立ち上げる際、私はある決断をした。それは、自分自身が基本的にはこのサービスを利用しないということだ。その理由は二つある。まず、これまで支えてくれた介護事業所への感謝を忘れたくなかったこと。そしてもう一つは、この事業は私利私欲のためではなく、困っている人々のために立ち上げたという信念だ。

 実は、障害者が訪問介護事業を始めるケースは多い。多くの場合、自分の介護基盤を強化しながら、同時に売り上げを得ようとしているのだ。事業所を立ち上げたにもかかわらず、利用者が自分一人ということも珍しくなく、それでビジネスが成り立ってしまうという現実がある。こうした問題は、障害福祉サービスの現場に潜む課題の一例だ。

 このような問題が浮き彫りにしているのは、多くの障害福祉サービス事業所は「誰かに寄り添い、支援する側としての役割を忘れている」ということだ。

 だから私は、自分ではない誰かに寄り添い、支援する側としての役割を大切にしていきたい。

 そして、障害者のためにより良い未来を提供することに全力を尽くすつもりだ。

 <佐藤仙務(さとう・ひさむ)>

 1991年愛知県生まれ。ウェブ制作会社「仙拓」社長。生まれつき難病の脊髄性筋萎縮症で体の自由が利かない。特別支援学校高等部を卒業した後、19歳で仙拓を設立。講演や執筆などにも注力する。著書に「寝たきり社長の上を向いて」(風媒社)など。(佐藤仙務)

共有