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「がんばろうKOBE」を合言葉に阪神・淡路大震災のあった1995年に優勝したオリックス。ファンの祝福を受けるイチロー(手前)ら=1995年9月26日

 元オリックス球団職員で、現在はフリーアナウンサーの大前一樹さん(63)と、朝日新聞スポーツ部のオリックス担当が対談する「オリいったお噺(はなし)」。オリックス担当の大坂尚子記者と、殿堂入りを果たしたイチローさんについて話しました。

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 大坂 イチローさんが殿堂入りしました。オリックスに在籍していた時、大前さんは球団職員でしたよね。

 大前 広報として、毎年イヤーブック用の取材をしてました。印象的だったのがプロ2年目の1993年、1軍の秋田遠征です。当時の土井正三監督にあまり使ってもらえず、ベンチ裏で素振りをしていたんです。「イチロー、出たいよな」と声を掛けると「本当ですよ。出してくれれば(打率)3割打てますよ」と返ってきたんです。

 大坂 1年目に2軍で首位打者をとりましたが、1軍実績がない時ですね。

 大前 言い切れるのがすごいなと。「高校野球でセンター前ヒットだけ狙えば7割5分打てますよ」とも言っていました。

 大坂 愛知・愛工大名電高時代の3年夏は打率7割超と言われていたので、本当にできるんだろうなと想像できます。

 大前 試合前のフリー打撃もすごかったです。今の選手は打ち損じがあるでしょう。でも、イチローはないんですよ。レフト前、センター前、ライト前と順番に打って、最後にグリーンスタジアム神戸(現ほっともっと神戸)のスタンドに何発かポンポンと入れる。最後のひとまわりでは外国人のニールと競争していましたね。5球でどちらが多くスタンドインできるか。イチローが飛距離も勝っていました。それくらいすごい。

 大坂 先日お話を聞いたオリックス時代の先輩にあたる小川博文さんが、落合博満さんもフリー打撃で順番に打っていって打ち損じがないと。イチローさんも含めて一流選手のフリー打撃はこういうものだと感じたと言っていました。

 大前 守備もすごい。彼の後に右翼に定着した葛城育郎さんに怒られるかもしれないけれど、葛城さんは守備練習でファウルゾーンへの打球を捕れない時もあった。それを見ていると、「イチローは全部捕っていたな」と。葛城さんも守備はうまいから、改めてイチローのすごさを感じました。

 大坂 逆に意外な一面はありましたか。

 大前 弱いところを他人に見せないんですよ。でも、1996年の日本一になった時、色々あって僕が代表インタビューをしました。彼はお酒が飲めないから、ビールかけで少し酔っていたんでしょうね。縁台に2人で腰掛けてやりました。いつもとがったことを言うことが多いのに「うれしい」と何回も言っていたのが印象的でした。

 大坂 95年に阪神・淡路大震災があり、「がんばろうKOBE」を合言葉にリーグ優勝して、翌年に日本一。震災30年の今年、殿堂入りしたというのも特別な縁を感じます。

 大前 あの頃はみんなの希望でした。現役引退後も日本の高校球児たちと触れあっているのもすごい。まだまだこれからもやってほしいです。

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