手彫りの仏像を手にする名古屋大教授の石井敬子さん=名古屋市

記者コラム 「多事奏論」 編集委員・岡崎明子

 東京では薄桃色の桜のつぼみが、いまかいまかと開花を待ち望んでいる。

 実は季節の中で、春が一番苦手だ。

 学生時代は進学やクラス替え、社会人になってからは転勤や異動が重なる。期待より不安が上回り、心がざわつくのだ。しかも慣れない環境の中、困ったことが起きても「助けて」と言えない。それは、性格のせいだと思ってきた。

 ところが一橋大学講師の鄭少鳳さんと名古屋大学教授の石井敬子さんが書いた論文を読んで驚いた。日本人は米国人に比べ、困っている人への同情心が低く、困っている人を見ても気の毒と思わない、そしてその傾向が強い人ほど「助けて」と言えないのだそうだ。

 つまり、私が助けを求めないのは、同情心が低いためなのか。

 すがるような思いで、文化心理学を専門とする石井さんの研究室を訪ねた。淡々と語り出した石井さんの話は、驚くことばかりだった。

 いわく、他人を思いやり同情する「共感的関心」と、他者が利他的な行動を取ることへの期待度が高い人ほど、助けを求めやすいこと。日本人と米国人を対象にした実験では、日本人は共感的関心も期待度も米国人より低かったこと。そして日本人の共感的関心が低いのは、「あなたが困っているのは、社会規範を逸脱したせいだ」と因果応報的に捉える傾向が強いからだという。

 「共感的関心については、従…

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