小松大谷―明豊 試合後に抱き合う明豊の選手たち=小宮健撮影

 試合終了のサイレンが大分代表・明豊の夏に終わりを告げた――。大会第2日の8日、明豊は石川代表・小松大谷との初戦に臨み、4―8で敗れた。大分大会を4年連続で制し、「日本一」を掲げて挑んだ甲子園。選手の奮闘にスタンドから大きな拍手が送られた。

 「日本一」の目標とともに、ベンチ入りできなかった3年生の思いを背負った大会だった。ブラスバンドの演奏が響き、1万人超の観衆が声援を送る阪神甲子園球場。明豊のエース・野田皇志(こうし)投手(3年)は帽子を脱いで、額の汗をシャツの腕で拭った。

 七回表、ピンチを迎えていた。リードは1点。しかし、連打を浴びて無死一、二塁。ベンチから伝令が走り、内野陣がマウンドに集まる。再び流れる汗を拭ったが、何を話したか覚えていない。

 3番打者に投じた5球目を右中間へ運ばれた。相手スタンドの青いメガホンが波を打つ。この試合で許した11本目の安打で逆転された。

 「勝つためには自分に何が必要なのか」。そう問い続けた1年だった。昨夏の甲子園大会1回戦。延長十回タイブレークで登板し、サヨナラ打を打たれた。あの時の悔しさをバネに、新しい変化球の習得や直球のスピード、大会全試合を完投できる体力づくりなど研鑽(けんさん)を積んだ。「精神的にも技術的にも大事な試合を任せられる軸になる投手に」という川崎絢平監督の期待にも応えたかった。

 だが、初回から相手打線に甘い球を狙われた。石田智能(ともよし)捕手(同)は「変化球が少し浮いていた。その球を仕留められた」と振り返る。3点を先制され、すぐに味方打線が追いついた。しかし、最後まで本来の投球を取り戻せなかった。

 八回2死一、三塁の場面で交代を告げられた。マウンドに上がる寺本悠真投手(2年)に「抑えられるから頑張れ」と告げ、白球を渡した。投じた球は135球。水分を取って小走りで一塁の守備に向かった。

 4点差で初戦敗退。スタンドに頭を下げた後、石田捕手が泣き崩れた。肩を組んで歩き、抱き合って「ありがとう。ナイスキャッチャーやった」と伝えた。その瞬間、これまでの思いがこみ上げ、涙が止まらなくなった。

 試合後、「まだ野球は終わらない。今日のこの経験も生かしてコントロールよくしっかり投げたい」。少し先の自分を見つめていた。(大村久)

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