「核のごみ」最終処分場をめぐり、文献調査を求める請願の審議が始まって、わずか10日。佐賀県玄海町議会の特別委員会は25日、請願の採決に踏み切る。町内で反対の声は広がらなかった。少数派となった反対派町民はこの動きをどう見たのか。
「町で表だって原発反対の活動に参加できるのは、町民5千人のうち2、3人」
こう話す青木一さん(86)は、その「2、3人」の一人だ。
きっかけは、2011年の東京電力福島第一原発事故。町には、九州電力玄海原発1~4号機(1、2号機は廃炉決定済み)があり、「原発はもう止めにゃならん」と動き出した。
再稼働の差し止めを求める仮処分の申し立てに参加。再稼働は止められなかった。いまは運転差し止めを求める裁判の原告だ。
玄海原発1号機が稼働したのは1975年。それから約半世紀が経ち、原発のある生活は町に定着した。
原発から5キロほど離れた青…