羽柴秀吉から脇坂安治に送られた朱印状=2024年4月4日、兵庫県たつの市龍野町上霞城、雨宮徹撮影
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 羽柴(豊臣)秀吉が天下取りに向けて突き進んでいたさなか、部下に宛てて材木の調達を命じた書状が、兵庫県たつの市で見つかった。材木が何に使われたかは不明だが、具体的な種類や本数を示しており、細かいことにも口を出す「上司像」が浮かび上がる。書状は20日まで、市立龍野歴史文化資料館で展示されている。

 書状は、たつの市の民家で2021年に見つかったもので、同資料館が調査をしてきた。書状が出されたのは、1584年夏とみられる。この年は、織田信長が倒れた本能寺の変の後、秀吉が信長の次男・信雄(のぶかつ)や徳川家康と対立して引き起こされた「小牧・長久手の戦い」があった。

 宛先は、龍野・脇坂家の藩祖である戦国武将の脇坂安治(わきざかやすはる)ら。大きさは縦約31センチ、横49センチで、最後に秀吉の朱印が押されている。

 安治は、秀吉が柴田勝家に勝…

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