Smiley face
写真・図版
沖縄尚学―東洋大姫路 試合に敗れ、アルプススタンド前へ向かう東洋大姫路の選手たち=伊藤進之介撮影

 14年ぶりに兵庫大会を制した後、岡田龍生監督が話したことが鮮明に記憶に残っている。「夏になんとか(甲子園に出場したい)と思って、(2022年に)東洋大姫路に帰ってきた。『夏の東洋』と言われなくなったことが一番寂しかった。(同校卒業生に)やっといい報告ができる」

 東洋大姫路は1977年に全国制覇し、かつては「夏の東洋」と呼ばれた。だが、近年は夏の甲子園から遠ざかっていた。

 新チームは昨秋から近畿の公式戦で無敗を続け、今春の選抜大会にも出場した。それでも、夏にかける思いは特別なものがあった。

 挑んだ夏の甲子園では、「夏の東洋」の力を遺憾なく発揮した。初戦の済美(愛媛)戦は一時同点に追いつかれたが、終盤に突き放した。2回戦の花巻東(岩手)戦では、11安打8得点で打ち勝った。3回戦の西日本短大付(福岡)戦は、逆転で勝利をおさめた。

 強さの理由を、渡辺拓雲主将(3年)が語ったことがある。岡田監督の「二つの指導」が背景にあるという。

 一つは「打つ球を絞る」こと。

 兵庫大会決勝の報徳学園戦では、大会屈指の左腕投手と対戦した。東洋大姫路の先発メンバーには左打者が6人並び、左投手に苦手意識があったという。だが、「外角の球に踏み込む」「甘く入った変化球を狙う」といった徹底事項を打者全員で意識したことが、攻略の糸口になった。

 その意識は、甲子園でも変わらなかった。相手投手の研究に加えて、数ある投手のパターンの中でどの球を狙うのかが、打者陣の頭の中に入っていた。肉体強化に重きを置いて「破壊力」が増した強力打線は、狙い球を絞ることで、つながりが生まれていた。

 二つめは「守備・走塁・バント100%」だ。

 岡田監督は「打つことはどちらかと言えば確率が低い」という。だから、守備、走塁、バントは失敗なく確実にこなせるように、確認を繰り返していた。

 これらの練習に多くの時間を割いているというわけではないが、「『100%』という高い意識が大切だ」と岡田監督はいう。

 練習に同行すると、その意図が少し分かった。今大会の初日から、走者を置いた実戦打撃練習を繰り返した。4番打者の白鳥翔哉真選手(3年)を含め、全員が必ずバントを試みていた。

 バントミスや走塁のミスがあると、すかさず「やっていることが違う」と、岡田監督やコーチから指摘が飛んだ。

 高い意識で練習を繰り返した送りバントは、甲子園大会の4試合で12。強力打線の中で、小技が鍵となっていた。

 準々決勝の沖縄尚学戦では守備にほころびがでた。エースの木下鷹大投手(3年)に続く投手が、「けがなどで育たず、差が生まれた」(岡田監督)という。それでも、満員の甲子園の中で、選手らは堂々とはつらつとプレーした。その姿に観客は大きな拍手を送った。

 「夏の東洋」は、強烈な印象を残して甲子園を去った。

 第107回全国高校野球選手権大会(朝日新聞社、日本高校野球連盟主催)に兵庫代表として出場した東洋大姫路は19日の準々決勝で敗退し、1977年以来の全国制覇には届かなかった。それでも、チームは「夏の東洋」復権への手応えを感じていた。その軌跡を振り返る。

共有