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 40年前の5月17日、男女雇用機会均等法が国会で成立した。その当時、社会人1年生として羽ばたいた女性たちの目に「女性が働くこと」の実態はどう映っていたのか。

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1987年の東京・丸の内ビジネス街の出勤風景

 「女性は採用しません」。公務員志望だった。就職活動で訪れた霞が関の省庁訪問で、ある省庁の採用担当者からそう告げられた。

 1984年、定塚由美子さんは労働省(現厚生労働省)に入省した。当時、民間企業でも男性と同じ待遇で女性を採用する企業はごくわずか。

 国の省庁でも女性の採用は少なく、「女性は採用しない」と言われたと思ったら、「数年前に採用したからしばらくはとりません」とも言われた。婦人少年局があり、毎年女性1~2人を採用していた労働省に入ったが、定塚さんにとって「初めての差別の壁だった」。

女性だけできない残業、お茶くみや灰皿の片付け――。雇用の場で、女性は平等に扱われているとは言えませんでした。均等法の第一世代はどんな思いだったのでしょうか。

 入省してすぐ、男女雇用機会均等法の法案の担当になった。労働政策は、公労使でつくる審議会で決まった後、法案として国会に提出される。

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定塚由美子さん。会長を務める財団の入り口には、「均等法の母」とされる赤松良子さんが描いた絵が飾られていた

 審議会の議論は大詰めだった。使用者側は、男女平等の義務化に反対していた。その様子を目の当たりにした衝撃は大きかった。「特に経営者が、義務をともなう法制化に非常に反対していた。本当に、こんなに反対するんだ、と」

上司が手でバツ、産後の欠勤はのちに

 83年、大手電機メーカー「富士通」にエンジニアとして入社した西村美奈子さんは、入社1年目の出来事を覚えている。

 海外の顧客との打ち合わせの…

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