「認知症の人は、ただケアをされる存在なのでしょうか」。こう問いかけられたら、皆さんはどんな答えを思い浮かべるでしょう。ケアをする家族のことをおもんぱかる認知症の人を多くみてきました。今回は、中等度の認知症になり混乱する日々の中でも、自分を介護してくれるきょうだいのことを考えた勇気ある人の記録です。個人情報保護のために事実の一部を変更し、仮名で紹介します。
そのきょうだいに会ったのは、今から15年ほど前です。認知症を現在ほど社会が理解してくれるようになる前で、若年性認知症への理解が乏しい時代でした。
内科医からの紹介を受けた61歳の男性、岸田智文さんが妹と来院してきました。
既に大学病院で若年性アルツハイマー型認知症の診断がついていたこともあり、2人は落ち着いた様子でこれまでのことを話し始めました。
妹の親代わりとして
岸田さんが24歳の時、両親が交通事故で突然、他界しました。妹は当時19歳。工場に勤めながら岸田さんは、妹の親代わりになってきたそうです。
妹には軽い知的障害がありましたが、人のことを大切に思うやさしさと勤勉さがあり2人はお互いを支えながら生きてきました。
このような背景のもと、兄は妹を、妹は兄のことを考え、2人とも家庭を持つことなく人生を過ごしました。
岸田さんは59歳の時、直前の出来事を忘れるようになりました。40年以上働いた職場では工場長になり、多くの部下をかかえ、経営者と共に会社を守る立場でしたから心配はひとしおでした。
診断、告知を受けたこの頃、絶望に近い気持ちとともに日々を過ごしていました。そのことを心配した内科医が「診断後のこころの支えになってほしい」と私の診療所に岸田さんと妹を紹介したのでした。
彼らの支えに私がなったかどうかは定かではありませんが、少なくとも2人が病気のことだけではなく、日常生活で困ることがないように社会福祉士と共に、必要に応じて会社や行政の力を借りながら、最初に診た時から7年の日々が過ぎました。
妹が伝えた「急激な悪化」
月1回の割合で通院していま…