「『働けない』をとことん考えてみた。」などの著書のある文筆家の栗田隆子さん(52)は、大人の求めるような子どもらしい子どもではなく、幼少期から思い悩むことが多かったそう。小さな頃から感じていた様々な「らしさ」の押しつけを、大人になった今も問い続けています。
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「子どもらしさ」にハマれない子どもでした。小学生の頃から学校が苦手、集団行動が嫌で、色んなことに疑問を感じていました。
「大きなかぶ」を学んだ時には、そこに出てくる「うんとこしょ、どっこいしょ」という言葉を3回書きなさいという課題ができなかった。なんで書かなくちゃいけないの、と思ったんですね。でも「問いを発してよい」という教育をされていなかったから、聞くこともできなかった。
中学の時から学校に行かない日があって、高校で不登校になりました。中学の時は「自分で行かない」と決めて時々自主的にサボっていたのですが、高校に入ってからは「行けなくなった」。自分自身をコントロールできないことに絶望しました。
怒鳴る教師に完璧な母 弁当の味感じられず自殺未遂も
入学早々「(進学する大学は)最低でも、日東駒専」と言ったり、入学式で体育館に生徒が入る際に「上履きに履き替えろ」と怒鳴りつけたりする教師。家ではフルタイムの仕事と家事を完璧にこなす母親がいて、逃げ場がなかった。弁当の味も感じられなくなり、16歳の誕生日の日に自殺未遂をしました。
不登校の時に大人から、「発展途上国の子どもはもっとつらい」というようなことを言われました。「苦しさ比べ」をする必要はないのに。
そんな中、地元の女性センターのフェミニズム講座を受けフェミニズムと出会いました。「疑問を持っていい」ということを学びました。
通信制の高校を経て大学に行き、哲学を専攻し、大学院を中退。独身で非正規で働き、生活保護の受給もしました。今でも大人だったらこうあるべきだといった「らしさ」にハマれず、なんとかかろうじて生きています。
「学校嫌なら行かなくていい」は偽善ではないか
子どもの自殺者数が減らない中、8月末に「学校に行かなくていい」というキャンペーンをすることにどこまで意味があるのかなと思っています。
子どもが「生きていこう」という方向にならないのは大人の責任です。例えばいじめは加害者の問題なのに、「いじめられて学校が嫌だったら来なくていい」というのは偽善ではないでしょうか。そもそも大人の世界でも差別や排除がまかり通っていませんか。
競争至上主義、学校システムの問い直しを
去年の春からは小中高生向けの塾講師をしています。こうは言っていても、「塾」というシステムの中にいると、勉強する人が教えやすいなと思ってしまいます。勉強に身が入っていなさそうな人に、不登校経験の話をすると、「道を外れる」のは嫌がり、「自分は普通でいいです」と言います。
主流からはずれて「マイナー」になるのは子どもも怖いと思う。自分自身も調子が悪くなると「普通でいたい」と思うことがあります。大人も子どももシステムにハマる人は扱いやすいし、優遇される。でもそれは結局人として誰のことも大事にしてないのではないかと、疑問に思います。
小中学校の不登校児童生徒が約34万人もいる。自分たちが税金を払っている「学校」がどうして誰もが安心して行ける場所になっていないのか、それっておかしいことなんですよ。
自分が不登校の時は、つらいところから逃げるので精いっぱいで、そんな疑問を感じることもできなかった。今はフリースクールなどのオルタナティブ(代替)もありますが、そもそもの学校というシステムや、競争至上主義などの中心的な価値観を問い直す必要があるのではないでしょうか。
くりた・りゅうこ 1973年生まれ。文筆家。大阪大学大学院でシモーヌ・ヴェイユを研究。非常勤や派遣で働きながら、貧困や労働問題に関する社会運動に携わる。著書に『ぼそぼそ声のフェミニズム』、10代に向けた『ハマれないまま、生きてます』など。
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