Smiley face

 能登半島地震や能登豪雨では、多数の集落が孤立しました。20年前の新潟県中越地震でも注目された「孤立集落」。金沢大の青木賢人准教授(自然地理学)は「孤立集落イコール過疎地、というイメージは変えたほうがいい」と話します。

写真・図版
能登半島地震の火災現場を訪れた青木賢人・金沢大准教授。この通り沿いで輪島朝市が開かれていた=2024年2月、石川県輪島市河井町、佐々木英輔撮影

 ――能登地震後に孤立集落を調査されました。

 はい。能登は「二重の孤立」を経験しました。地震の際は、個々の集落も多く孤立しましたが、能登半島全体も孤立したと言えます。半島全体の物流がストップし、全体的にモノが薄い状態になりました。特に市街地エリアは、農漁村よりも深刻でした。

 ――農漁村と都市部とで、何が違うのでしょうか。

 孤立した農漁村の人たちに聞き取りをしていると、普段から畑でショベルカーを動かしている人が多く、地震の時も道路を通したり、自分で山水を引いてきたり、風呂釜を自分で直してしまったりと、色んなことができていました。

 もちろん持病があったり、とても高齢だったりする人にとってはしんどさがありましたが、健康な人が雨露をしのげる場所にいれば、孤立の中で耐えることができる状況はありました。

 ――とはいえ、問題はなかったのでしょうか。

 8月に調査した珠洲市の馬緤地区と高屋地区の住民は、情報が入ってこないのが一番きつかったと言っている人が多かったです。情報がないと、近しい人の安否はもちろん、全体の被害がどうなっているかもわからない。隣の地区まで歩いて行き、「もうじきヘリが来るらしい」などと聞く状況が1週間ほど続いたそうです。集落全体に意思確認もしないまま、いきなり2次避難となったのは、納得できなかった人も多かったでしょう。

 一方、能登や(2004年の新潟県中越地震で被災した)旧山古志村などの過疎地のイメージだけで孤立集落を語ってはいけないことです。

記事後半では、ニュータウンなどの都市の地区でもある孤立リスクと、リスクを減らすために地区や自治体ができる備えについてお伝えします

 ――なぜですか…

共有