いつもなら、あんな電話はとらなかった。
夏のある日の午後のことだった。北陸の郊外に住む木下カズコ(仮名、81)は居間で一人、テレビを見ていた。
カズコが住むのは2世帯住宅の1階。夫には先立たれたが、2階には長男のヒロシ(仮名、57)の家族がいる。夕食をともにすることも多い。
部屋の固定電話が鳴る。
友達や親戚など、よく電話する番号は登録済み。だが、この番号は登録がなかった。
セールスか何かだろう。出ないつもりだった。
でも、表示されている番号は「05」から始まっている。
次男が住む岐阜の市外局番「058」を思い出した。
迷いながら、受話器を取った。
「ばあちゃん?」
受話器から聞こえてきたのは、大阪で記者をしているはずの孫の声だった。
昨夏、記者(28)の祖母が特殊詐欺の被害に遭いました。「受け子」として逮捕されたのは、部活とアルバイトにいそしむ「普通の大学生」でした。この連載は、被害者と加害者、双方の家族それぞれの視点から描きます。
「あれ?広大(こうだい)かい?」
地元の友達に会いに来ているから、今晩泊めて欲しいとのことだった。
妙な話だとは思った。
孫の広大は、ヒロシの息子。ここが実家なのだから、泊めて欲しければ、まずヒロシたちに連絡するはずだ。
だが、紛れもなく孫の声だ。
「いいよ」と答えた。
続けて、受話器の向こうの「孫」はこんなことを言い出す。
「投資で多額のお金をもうけたんだ」
すぐに、電話は別の男に替わった。弁護士事務所の北陸支社に勤める人間だと名乗った。
もうけたお金の税金を払っていないから、このままでは査察が入る。それを収めるために金が必要になる。そんな説明だった。
「査察」という言葉に思わず動揺した。孫の将来に傷がつくかもしれない。
腑(ふ)に落ちない点もある。株や投資をしているなんて聞いたこともない。
ある出来事を思い出した。
以前、カズコの元に証券会社の営業マンが訪ねてきた。その営業マンは孫の広大と同級生だったという話をしていた。
もしかしたら、あの同級生の営業マンから紹介を受け、投資を始めたのかもしれない。
自分で自分を納得させた。何より、心配だった。
電話は、再び「孫」に。
「そんなにもうかったん?」
「うん、大きくもうけさせてもらった」
「何百万?」
「いや、そんなもんじゃない」
「何千万?」
「うん、何千万単位」
「あんた、そんな若いうちから楽して金もうけとったら、働くのも嫌になってダメ人間になるよ」
そんな小言も「孫」は受け止める。
「ばあちゃん、金を受け取ったらこれで最後にするから。分かったから」。だから、100万円を貸してくれないか、と。
もう一つ、お願いされた。
無事大金を手にしたら、今度は現金書留で600万円を送るから預かって欲しいという。
「ばあちゃん、金庫持ってたでしょ?」
実際、カズコの手元に金庫はある。そんなことを知っているのも、孫だからだと思った。
これまでの話の疑問点も忘れ、すっかり信じ込んでしまった。
孫のためなら、老後の「もしも」のための貯金を切り崩そうか。すぐにATMに向かうことにした。
家の前にとめてあった車に乗り込もうとしたが、在宅勤務中だったヒロシの車が前にあった。どかすように頼んだ際、「広大から電話があって、いま近くに来とるんだって」とヒロシに伝えた。
この時、ヒロシはカズコの行き先を尋ねなかった。
- 【心理学者に聞く】だから、あなたもだまされます 詐欺見抜けない理由
なぜ孫本人が来ない? もう頭回らず
カズコはATMで50万円ずつ2回引き出した。
自宅に戻ると、再び電話が鳴る。
お金は、紙袋に三重にくるみ、全て封をするように言われた。
弁護士事務所の人間が取りに来るから、近くのドラッグストアの駐車場まで持ってきて欲しいという。
なぜ、三重にくるんで封をするのか。なぜ、近くにいるはずの孫本人が受け取りに来ないのか。もう頭が回らなくなっていた。
とにかく困っている孫に早くお金を届けたい。
車を走らせ、急いでドラッグストアへ。
紙袋を持って車の外に出ると、店の壁際に立っていた男が近寄ってきた。
長身で黒っぽい服。30代前後のしっかりとした社会人に見えた。
「木下さんですか」
男は弁護士事務所の人間だと名乗った。カズコは100万円の入った紙袋を差し出す。
「書類です。これでお願いします」
書類だと言って渡すよう言われていた。
男は「受け取りました」とだけ言って駐車場を去っていく。
孫はこれで助かるのだろうか。不安を感じつつ、遠ざかるその背中をじっと眺めた。
家に戻った。
外出していたヒロシが、帰って来るなり慌てた様子で話しかけてきた。
「あれ、詐欺だぞ」
「あれは絶対、広大の声」解けない思いこみ
この少し前。カズコから話を聞いたヒロシは、大阪にいる記者にLINEを送ってきた。《今日何時ごろに来る?一人で?》《電話した?》
だが、記者は電話もかけていない。実家に帰る予定もない。ヒロシは、詐欺を疑って、帰って来たカズコを問い詰めた。
カズコは「言っても怒らない?」と何度もヒロシに念を押し、ようやく見知らぬ男にお金を渡したことを伝えた。
「でも、あれは絶対、広大の声だった」。警察官2人に事情を話している間も、カズコは譲らなかった。
ようやく事を受け入れたのは、その後、電話で直接記者と話した時だった。
カズコはテレビで散々、特殊詐欺の被害にあった高齢者のニュースを見てきた。
「なんで、あんな詐欺に引っかかるだろう」とさえ思っていた。
その詐欺にまさか、私がだまされるなんて――。
自分はまだしっかりしていると思っていた。自信は粉々に崩れてしまった。
実際にオレオレ詐欺の被害にあった人のうち、78・2%が「自分は被害にあわないと思っていた」(警察庁が2018年に実施した調査から)
実は、「孫」になりすました詐欺電話には「続き」があった。
「友達にもお金が借りられな…