Smiley face
写真・図版
アニメ監督の富野由悠季さん(左)とアニメ評論家の藤津亮太さん

 作品の系譜と演出術の解説にはブラボー、マクロな作家論の部分は同意と疑問が7:3、といったところでしょうか。本欄にたびたび登場するアニメ評論家・藤津亮太さんが今月出した「富野由悠季論」(筑摩書房)です。

 演出術とは例えば、物語が始まるとき前提の説明をすっ飛ばして進行中の状況にいきなり観客を放り込むお得意の語り方。いつごろからどのような形でこの技が発揮されるようになったのか。それから、画面上で左を向いて左方向へ進む運動、逆に右向きで右方向に進む運動、これを使い分けることで物語の枠組みや人物の対立関係を分かりやすく観客に伝えるという、ベクトルのコントロール。1988年の映画「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」(逆シャア)を使って細かく分析し、そこに詰まった富野演出の技を浮き彫りにします。

 作品の系譜としては、85年の「機動戦士Zガンダム」が79年のファーストガンダムの続編でありながら雰囲気や味わいが違うのは、80年の「伝説巨神イデオン」と83年の「聖戦士ダンバイン」と共通のテーマ性を持たされたがゆえにファーストより「イデオン」「ダンバイン」とつながっているから、という指摘。ああなるほど!とうなずけます。「テーマ性もあるけど富野さんの当時の個人的な鬱屈(うっくつ)がこもっているからじゃ……」と思っていると、藤津さんはちゃんと後ろのくだりでフォローを入れてきます。抜かりはありません。

 ファーストで芽生え「イデオン」で確立したこの「共通のテーマ性」とは「自我/科学技術/世界」。「自我」が「科学技術」をインターフェースとして「世界」に触れる、という構造です(p.256)。「自我とはキャラクターが心に抱えているある種の欲望のあり方」(p.233)、世界は言い換えると「世の理(ことわり)」(p.234)で、「イデオン」で言うなら「すべての魂がやがて新たな生命に生まれ変わるという輪廻(りんね)の仕組み」(p.234~5)。科学技術は「ロボットもの」のメカが象徴するSF的アイデアでしょうかね。

 ただ「自我/科学技術/世界…

共有