御嶽山の噴火に巻き込まれ、行方不明となっている野村亮太さん。噴火直後に親族が撮った最後の写真=2014年9月27日、長野県の御嶽山八丁ダルミ、野村敏明さん提供

 死者・行方不明者が63人に上る戦後最悪の火山災害となった御嶽山(長野・岐阜県、標高3067メートル)の噴火から27日で10年となった。残された家族にとって、共にした時間は止まったまま。行方不明の息子を捜すため、父親らは御嶽山に登り続けている。

  • 戦後最悪の火山災害から10年 噴石展示する山小屋支配人の懸念

 23日、御嶽山の8合目と9合目の間にある斜面で、ヘルメットをかぶった愛知県刈谷市の野村敏明さん(64)と、弟の正則さん(61)が手がかりを捜していた。

 敏明さんの長男・亮太さん(当時19)は10年前の噴火の後、行方が分からない。小学校から高校までサッカーに打ち込み、頑張り屋で優しい性格だった。数学が得意で、大学は経営学部に進学。新しい友人と出会い、自分の世界を広げていく姿を、家族は頼もしく見守っていた。

行方不明の野村亮太さんを捜すため、御嶽山を訪れた父敏明さん(左)と叔父正則さん=2024年9月23日午後1時11分、長野県、野村敏明さん提供

 正則さんが亮太さんを誘い、一緒に御嶽山に登ったのはそんな頃だった。噴火当時は噴火口近くの尾根筋「八丁ダルミ」にいた。

 先に噴火に気づいたのは亮太…

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