幼い頃からの家庭や自身の状況について話す女性=京都市内

 中高時代は、常にトップクラスの成績だった。大学は京大に進学した。それでも女性(28)は、自分のことを肯定できなかった。

 3歳のとき、父が家を出て行き、埼玉県内で居酒屋を営む母の実家へと引っ越した。

 母にとって、もともと折り合いの悪い親との同居は大きなストレスだったのだろう。

 女性が手伝いをしないとご飯をぶちまけたり、姉妹3人でふざけていると「うるさい」と頭をたたいたり。ヒステリックに怒られた。

 それでも毎晩、母を囲んで姉妹で川の字で寝ていると安心できた。ふだんは物静かな母に、甘えることもあった。小学3年生までは――。

 ある晩、母はコンビニに行くかのような風体で、家を出て行った。

 次の日になっても、その次の日になっても戻ってこない。祖父母に尋ねても、はっきりした答えは返ってこなかった。

 私たちは捨てられたんだ。絶対に裏切らないと信じていた人に、裏切られたんだ。

 心に大きな穴があいた寂しさを、当時はうまく言語化することができなかった。

 いま考えると、「自分は愛される価値はない」と思ってしまったのだろう。

 その怒りから祖父を無視し、バイ菌扱いしてわざと傷つけた。2歳上の姉も荒れて包丁を振り回し、それを止めようとする祖母とのバトルを布団の中で震えながら見守ったこともあった。家の中は、修羅場と化した。

 1年ほどして、母が戻ってきた。

自信喪失、偏差値も30台だったのが…

 どこでどう過ごしていたのか…

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