インタビューに応じる黒岩祐治知事=2025年3月4日、神奈川県庁、井石栄司撮影

 2016年に神奈川県立障害者施設津久井やまゆり園(相模原市緑区)で入所者19人が殺害された事件以降、県は共生社会の実現に向けた憲章を掲げるなど、障害者福祉に力を注いできた。にもかかわらず、県立障害者施設では虐待事案が絶えない。「根が深い問題だ」と黒岩祐治知事は言う。この問題の根はどこにあるのか。

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 神奈川県は、七つある県立障害者施設のうちの四つに県の花の名を冠し、「やまゆり園」と名づけている。その一つ、津久井やまゆり園で入所者が殺害される事件が起き、同園を調べる中で、中井やまゆり園でも虐待を含む不適切な支援が行われていたことが発覚した。県立の施設で、なぜ障害者を「人間として見ない」支援が横行していたのか。「もうひとつのやまゆり園」を取材した連載(全7回)をこちらに掲載しています。

 ――津久井やまゆり園事件の発生直後に現場を訪れたそうですね。

 「あの事件に向きあう中で、植松(聖)死刑囚が突然犯行を起こしたのか、それとも(園の職員として働く中で)ああいう人間が出てくるベースがあったのか。自分の中で大きな問いがあった」

 「植松死刑囚の証言をどこまで信用していいのかは別にして、証言によると、(施設で入所者が)人間として扱われていなかったことを見て、『(障害者は)いない方がいいんじゃないか』と気持ちが変容している」

 「事件後も虐待事案が次々明るみに出てきた。僕の前では愛情にあふれていた職員たちが、見えないところで虐待を行っていた」

 ――事件後、入所者の居室を長時間施錠している問題も発覚しました。

 「強度行動障害がある人は、周囲の音などの環境に過敏に反応し、思い通りにならなかったらアクションが出ることもある。本人も危ないし、周りを傷つけるかもしれないと部屋に閉じ込め、車椅子に縛り付けることが平然と行われていた。今の定義では虐待になるのに、法の枠組みが変わっていることが現場に浸透していなかった」

 「当事者と対話を重ねる中で『なぜ私が暴れていたのかを聞いてほしかった』というある障害者の言葉にドキッとした。うまく言葉が出てこないから行動に出る。暴れるともっと閉じこめられるという構図だった。この問題は相当根が深い。簡単にはいかない」

 ――県は「当事者目線」を掲げています。

 「津久井やまゆり園で車椅子に縛りつけられていた女性は、(横浜市の障害者施設)てらん広場では笑顔で車椅子や台車を押して、地域の高齢者のみなさんのごみ収集を手伝っていた」

 「女性に謝ったんです。『ごめんね。気づかなかったんだ、ごめんね』って。彼女は『あーっ』と言っているだけ。伝わっているのかなと思いながらも話し続けて、帰ろうと思ったら彼女が追いかけてきた。靴を履いて、自動車まで見送ってくれた。そのとき、彼女とコミュニケーションができていると確信的に思った。植松(死刑囚)の理屈では、『意思疎通ができない人間』と位置づけられ、殺される対象になったかもしれないけれど」

地図

「サイエンスに基づく福祉を」

 ――中井やまゆり園(中井町)では長時間施錠に加え、医療に十分アクセスできていない問題も出てきました。

 「目に見えないところで、障害者福祉では当たり前のやり方が積み重ねられてきたのだろう」

 「問題が起きる前、中井やまゆり園に行くと、職員は最先端の障害福祉だとプライドをもって説明してくれた。真っ暗な部屋にいる入所者を、職員が別の部屋からカメラで見ていた。『この人は強度行動障害で非常に神経過敏で、食事が終わった瞬間に片づけないと暴れる』と」

 「普通の生活には光も音もある。大きな声もある。すぐに片づけられないことも山ほどある。刺激にあふれているのが世界だ。環境をコントロールしていたら、生涯そこから出られなくなる。最初は問題が起きるかもしれないけど、外に出して刺激に慣れてもらい環境にとけ込むことをしないと変わりようがないと思う」

 ――中井やまゆり園の見直しの取り組みは停滞しています。

 「有識者らの指摘を重く受け止めて、きちんと分析や検証をしなければならない。ただ、個人を責めても仕方ない。「医療の空白」の問題に向き合うなかで、個人の力に左右されずにチームとして問題を起こさない支援ができるシステムをつくっていく。全部オープンにして透明性を高めて、見える化をする」

 ――中井やまゆり園は運営を直営から独立行政法人に移行します。

 「医療の世界では『エビデンス・ベースド・メディスン』と言って、科学的根拠を積み重ねて、それに基づいた医療をしていく。でも、福祉の世界ではエビデンスが感じられない。がんばって何とかしようということが中心になっている。独法の下ではサイエンスに基づく新しい福祉の姿をきりひらき、人材を育てていきたい」

 「将来的には施設そのものをなくしていきたい。みんな地域で生活する。(施設は)終(つい)の棲家(すみか)ではなく、地域生活への移行期間という位置づけだ。具合が悪いときに病院に行くように、具合が悪くなったら施設に戻ってきてもらうイメージだ」

 ――中井やまゆり園に短期入所をしていた男性が昨年、転居先の千葉県長生村で疲弊した父親に殺害される痛ましい事件も起きました。

 「根が深いのは、そういうことも含めてだ。グループホームを建設するだけでも、反対運動が起こることがある。障害者と一緒にいるのが当たり前になるように社会の構造を変えていくのは相当大きな作業だ。誰かがエンジンを回し続けて、進めないと改善しない」

  • 連載①はこちら|障害ある息子 施錠され、光ささない部屋に もうひとつのやまゆり園

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