自民党議員のエッフェル塔前での記念撮影がSNSで炎上したり、麻生太郎副総裁がトランプ前米大統領とがっちりと握手を交わして政府を困惑させたり――。日本の「議員外交」が時に場当たり的に映るのはなぜなのか。専門家は、議員個人の「資質」に頼る現状と、慰安旅行のように受け止められる「緩み」を指摘する。(聞き手・松山紫乃)
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「議員外交の世紀」(吉田書店)の著書がある広島大文書館の伊東かおり助教によると、日本における議員外交は戦前からある。
国会議員間の相互理解増進と平和の実現を目指し、欧州を中心に設立された列国議会同盟(IPU)に1908年に加盟。IPUは現在も存在し、世界の180カ国・地域が加わっている。
日本の戦前の議員外交はIPUのような多国間が主流だったが、戦後になると議会制民主主義が本格化し、外務省の自律性が後退したことで、多様な議員外交が展開されるようになったという。
議員外交が政府外交の補完的な役割を担うことは今も昔も同じだ。ただ、伊東氏は「その時々の議員の考え方や個人的資質が反映されやすく、同じ組織であっても同じ水準の議員外交を維持するのは簡単ではない」と分析する。議員連盟などの枠組みは緩やかな結束であるため、一体的な動きになりにくい面もあるという。
「検証可能な仕組み」検討を
「慰安旅行の感覚で参加して…