デモクラシーと戦争② 「自滅」した政党政治
政権をめぐる政党同士の駆け引きが、民主主義と暴力を近づけてしまう矛盾。戦間期の日本にも、教訓とすべき失敗がある。
百年前の1925年。男子限定ながら、納税要件を撤廃した普通選挙法が制定された。衆院第1党から首相が出る政党内閣の時代が訪れていた。
当時、朝日新聞の投書欄「鉄箒(てっそう)」に載った声から、国民主権の意識の高まりがうかがえる。
「政党内閣にあらざる内閣を時に忍んで来たのは、既成政党が民意を代表して居(お)らぬと認めたからだ。普選によって民意を代表せりと認むる以上、政党内閣にあらざれば之(これ)を認める事が出来ぬ」
元老から天皇への推挙をふまえて決まる首相について、衆院第1党に任せつつ、失政があれば交代して第2党から出すようになった。政友会と民政党の2大政党による政権交代は「憲政の常道」と呼ばれた。
【初回】悲劇はナチス以前から加速していた 民主主義があおる戦争、現代でも
世界と日本の100年を振り返り、私たちの未来を考えるシリーズ「100年をたどる旅―未来のための近現代史」。今回は「デモクラシーと戦争」編第2回です。前回(第1回)は、ヒトラーが台頭する素地となったワイマール憲法下のドイツや、現代のイスラエルの事例などをもとに、「民主的」な政治体制にひそむ危うさを探りました。
政争が五・一五事件口実に 間隙を縫った軍部
その歯車が、1930年の帝国議会から狂い出す。
この年、米英に譲歩しロンド…