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「合格神社」を訪れた田辺鶴遊さん=2024年3月17日、伊勢市の合格神社、高田誠撮影

 1890(明治23)年の第1回総選挙で三重県から立候補して以来、25回連続当選し、「憲政の神様」と呼ばれた尾崎行雄(咢堂(がくどう)、1858~1954)。「スケールの大きな政治家だった」と、新進の講談師、田辺鶴遊(かくゆう)さん(45)が咢堂の生き様を紹介する講談作りに挑んでいる。いま、政治家に問われるものとは――。

 伊勢神宮の内宮近くに、「合格神社」と呼ばれる場所がある。衆院選で当選を重ねた咢堂にちなんで1984年に有志によって設けられた。鶴遊さんや友人ら一行は3月、知る人ぞ知るというこの場所を探し出し、咢堂の胸像や記念碑を確認した。

 「神社を造ってしまうほど、咢堂の名前や存在は大きいんだ」。鶴遊さんらは語り合った。

 鶴遊さんらは、咢堂が少年時代に通った伊勢市の宮崎文庫英学校の跡地、宇治山田駅前の胸像、尾崎咢堂記念館などを見て回った。

 咢堂は東京市長だった明治期、山梨県丹波山村の水源地を買収した。鶴遊さんらはこの村も訪れ、木下喜人村長や地域おこしに取り組む人らに話を聞くなどして情報を集めた。

 「資料を読み込むだけでなく、ゆかりの地を訪ねて空気を感じることが講談作りには大切なのです」

「人生の本舞台は常に将来にあり」

 鶴遊さんは名古屋市で生まれ、静岡市で育った。東海大学大学院で政治学を研究していたが中退し、2001年に芸能事務所を営んでいた父の友人の講談師、田辺一鶴さん(故人)に弟子入りした。15年に真打ちに昇進し、東京・浅草などで活躍中だ。

 咢堂は現在の神奈川県で生まれ、14歳ごろに父の転勤で現在の伊勢市に移住した。

 1890年の総選挙で三重県…

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